だから私は 主婦をやるしか やる事がないのだ
郵便局から、手書きのお知らせ
前回の壮絶な長たらしい愚痴に、沢山のコメントを本当にありがとうございます。
感謝ばかりでありますが、お陰様でゆっくりと、自分の感情を整理している。
オマケに、先日届いた郵便局からのお知らせに驚きながら、1学期の娘の成績表に、深い フカイ ふかあぁぁぁぁぁい ため息に囲まれて毎日を過ごしております。
※郵便局の保険不祥事で、以前に加入された保険の一斉見直しが行われると、報道されていた。
その数日後、我が家に娘の学資保険(ひと月4000円程度の小さな保険)の件で、郵便局からわざわざ「手書き」のお便りが届いた。今時、手書き でっせ!
内容は学資保険の被保険者が娘で、その契約者の私が「障害者になった」から、掛け金免除になるかも知れないという「保険特約」の話らしい。
はぁ~?癌の手術から5年以上経ってますよ~!
今まで何をされとったん?
癌になった時や障害者の申請も、全部5年前に済ませとるで!
普通の生命保険会社じゃ有り得んじゃろ!
呑気なウチも うちじゃけど、
あんたらの会社、どういうこと???
この後から郵便局に、行こうと思ってマス。
社長との会話は「録音しよう」と思います。
(冗談ですよ!場を和ませようと思って!)
イヤなタイトル‥
自分自身で嫌なタイトルだと思いながら、あえて挑発的な言葉にした。これが「発言小町」のタイトルだったら、様々なジャンルの女性たちから猛攻撃を受けそうだ。
(※発言小町をご存じない方は、https://komachi.yomiuri.co.jp/ をご覧ください。参加はフリーですが、女性がメインで語られる「ネット相談」の様な掲示板で、女性の本音とキツイお言葉が飛び交います)
最初に断っておくが、以下に記す事は、いわゆるジェンダー論とは無関係である。
今回も前回に続く、私の障害と仕事について。障害者の私が就職活動の希望を市役所に訴えるも、見事に出鼻をくじかれた事例についてを記した。
しかし日本全国、障害者の雇用については、例えそれが参議院議員に選ばれた方々ですら、物凄い賛否両論が飛び交う位だから、私事など知ったこっちゃない。
しかし、心に引っかかるこの悲しさはなんだろう‥と、以下はその分析でございます。
私が障害者になる前
私は健常者として48歳まで過ごした。結婚後18年間、有職主婦だった。
その48年間に、私は自分の将来展望を、どの様に考えたか?
自分が癌や脳梗塞など、重篤な病気になるかも知れないと、思った事はある。
病が原因で自分が働けなくなったり、自身の介護が必要な状況に追い込まれるかもしれないと、考えなくは無かった。でもそれは決して「近いうち」ではなかった。
また地震や水害などの自然災害について、私は運よく最小の経験で済んでいる。火災や事件事故による被害もない。それでも日本中を震撼させる様な報道を知る度に、その被害が自らに及ぶ恐怖を考える機会は多かったと思う。
ところが情けない事に、私は「自身が障害者として生き続ける」という人生設計を、考えた事が無かった。
病やケガの後遺症として、身体が不自由になるケースは、十分に承知していた。元職場に障害者の学生は在籍していたし、同僚に介護スタッフもいた。しかしそれが、どのような障害で、どんな不自由さがあり、どんな生活に至るのか?
「具体的に」考えた事がなかったのだ。
障害の認知
日本人の中でいったい何%の方が、「自分は障害者になるかも知れない」と、考えた事があるだろうか?
そんな事を考えながら、日常生活なんか送れない‥と仰れば、その通りだと応えるしかない。だから考えると言うよりも、障害を「知っているか?」と問う方が厳密かも知れない。
障害にはその基本的理念を示す法律「障害者基本法」がある。
主な障害は3種類で、1)身体障害には、「視覚障害」、「聴覚・平衡機能障害」、「音声・言語・そしゃく機能障害」、「肢体不自由」、「内臓機能などの疾患による内部障害」の5種類がある。
他に2)「知的障害」3)「精神障害」が挙げられるが、世の健常者の方々がどの程度理解しているか?甚だ疑問だ。
視覚、聴覚、肢体の障害等は知る方も多いはずだが、パラリンピックや清く正しく美しい映画の様な姿ばかりを思い浮かべないか?介護の現場を知っているか?
(演じる俳優女優が綺麗すぎる!最近も松坂桃李さんが演じたらしい。松坂桃李だよ!松坂桃李さんを障害者として思い浮かべるファン達は、本来の障害者に何を思う?)
私の様な「音声機能障害」や「内部障害」の事を、具体的にご存じか?
(私の障害は、つんく♂さんのお陰で、少し有名になった)
他にももっと沢山あるだろう。
これは私自身にも、語り掛けている事だ。
私は殆ど知らない。知っているとは言えない。
健常者の私は、自らが進んで知ろうとしていなかった。
障害と疾病は違う
山本太郎さん率いる「れいわ新選組」から、お二人の議員が誕生したと話題になっている。ALS筋萎縮性側索硬化症と脳性麻痺を患うお二人らしい。
報道では「ALS」と「脳性麻痺」がまるで「障害」の様に表現されているが、ALSも脳性麻痺も疾病名であるから、彼らの障害名ではない。
疾病なら「範囲」「進行」「感覚や痛み」など共通症状があり、医師はそれを判断基準として重要視する。しかし障害の症状は、あくまで個々それぞれである。
事件事故による怪我や、私の様に手術後すぐに障害者になるケースもあれば、病状が進んでゆっくりと障害者になる方もいる。私と同じ音声機能障害の方でも、食道発声法やシャント法などを取り入れておられる方も多く、一様に同じではない。
しかしそれを種類別に振り分ける基準が、「障害者基本法」である。
正直に申し上げるが、れいわ新選組の新議員の方と同様の疾病の方が近親者に居ない私は、彼らの生活について殆ど知らない。書物を読む程度だ。
「身体障害」である事に間違いはないだろう。しかし具体的には?階級は?どのような不自由を強いられているのか?介護は?必需品は?意思疎通は?・・・
想像が出来るならそれでも救われるが、それも及ばぬのが現在の日本だと思う。
障害者の存在
障害は「自分とは関係がない」と感じる人が大多数だとしたら、「障害と共に生きていく自分」は「考えない、関係しない、関知しない」の「か活用否定形」。だから「生き続ける障害者」の事は眼中にない。
日本の映画やドラマ、アニメやCM等に、スタバでお茶をしたり街を闊歩する様な「エキストラ的なその他の人々」の中で、障害者やその介助人が登場する事があるか?
学識者や芸能人が障害を負うと、必ずと言って良い程、メディアから姿を消す。せめてものブログですら、暴言が並ぶニュースを見た。
障害がある事を前面に出すと「自己表示」とは認識せず、「利用」だと叩く。
家族や親近者に障害者がいない限り、日本では障害者を障害者として「ひとくくり」にまとめてしまう。それぞれが個々の症状があり、それぞれの不自由さがあり、出来る事もあり、支援や介助や援助の方法があると、知らないのか?知ろうとしないのか?
そして必ず障害者の存在は、家族や関係者にゆだねられ、限られた空間だけに集中する。清く正しく文句も言わず、ただただ国の方針に従う小さな存在でなくてはならないのだ。
市役所の担当者が、別れ際に「・・・かこさんは、とても朗らかで前向きな方ですから、頑張って下さいね」と言った。
結局はそれが、障害者に向けられる、典型的な在り方なのだ。
だから私は、主婦をやるしか、やる事がない
繰り返しになるが、私には今現在「市やハローワーク」から紹介される様な、障害者枠の仕事はないと言う。(私はこの障害者枠と言う言葉も大嫌いだ!なぜ枠に入れる?)
大きく言えば、市は私に「仕事が欲しけりゃ自分で探せ‥」と告げたわけだ。
そして家族構成を説明したりすると、あたかもそこに「安心する領域がある」かのように手を引いてしまう。
私は確かに声は出ないけれど、人工喉頭器で話せます!
腸ろうのコントロールは出来ています!
電話対応以外は、声に支障はありません!
私がどれほど必死に訴えても、私は音声機能喪失「障害者」であること変わりがなく、その枠に入った限りは「仕事」「社会生活」が限られる。
それは結局、私の生活意義を否定された様なモノで、あたかも(社会的にもう役に立たないが)家庭なら居場所があるでしょと言わんばかりの、朗らかさだけが私の取り得になる。
そして私は、家庭に籠り、主婦をやるしか、やる事がない訳だ。
主婦業が好きならそれで良いのかも知れないが、主婦業も才能や向き不向きがある。
「女性がみんな、家事ができて料理ができて洗濯ができて、そういうのが好きで生きがいとか思うなー!!」とはTwitterにて わさび@MSさん 笑笑
私も主婦業は大嫌いだ。
私はこれからの将来展望を、自分なりに考えなくてはなりませぬ!
立ち直るきっかけを探さなくては!
長きの文章を読んで頂いて、ありがとうございました。しっかりと読んで下さった方がどれほどおられるか?チラッと読んだだけで、ブログを閉じられた方も多いだろうと思う。それも我が身の未熟と感じるが、少しでも私の気持ちが日本に届くことを願っています。
では、また次回(^.^)/~~~