かあさん ちょいちょい がん患者

食道がんと咽頭がんと肺がんのお母さんと、家族と育児の闘病生活をイラスト日記にしました

【ガン患者のエッセイ漫画NO12】勇気出せ!自分!

共感の喜びと安心

私がマンガを始めて描いてから、半年近くたちました。(もう半年!)

その間に沢山の方が、私のブログを訪ねて下さっています。沢山のコメントやTwitterでの反応を頂いています。

 

私には「声の出ない障がい」があります。永久気管孔や腸ろうなどの、医療的後遺症を抱えています。でもそれを読者の方々が受け入れて下さって、共感と肯定的な意識を送って下さっている様に感じます。

私の勝手な解釈ですが、楽天的な私は 本気で そう思っています。

 

親が子供を教育する時に、一番大切なのは「共感と肯定」だと聞いた事があります。

子供だけに限らずスポーツや仕事の関係でも、それから病気と向き合う病人にも、同じ「共感と肯定」が大切だと経験しました。

読者の方々の共感が、私の大きな喜びと安心に繋がっています。

 

今日のマンガは、そんな共感の意識を頂く前のお話です。

 

マンガの前に

何度かご訪問を頂く方はご存じなのですが、私は失った声帯の代りに「人工喉頭器」という機械を使って声を発します。

それはとても優れた文明の利器で、通常のコミュニケーションに支障が無い程に、言葉を発することが出来ます。

軽くて持ち運びに便利なサイズで、電池は充電式ですから経済的です。

 

ただ「機械」ですから、発せられる声(音)は、抑揚のない「機械音」です。良く分かるように表現すれば「ワレワレハ ウチュウジン デアル」的な発声音に感じます。

しかし決して「人工喉頭器」が劣っているのではなく「携帯サイズの人工喉頭器には限界がある」と理解して頂けたらと思います。

※他にも声帯を失った方が、声を発する方法は沢山あります。

 

その「人工喉頭器」に、どのくらいの認知度があるか分かりませんが、使用者に女性が圧倒的に少なく、私の様な現役の「お母さん」は最も少ない部類(?)だと感じます。私の声で、ひっくり返る様に驚かれた方もいます。

 

上記を踏まえて、マンガを読んでみてください。

マンガは 11ページあります

詳細は後に記します。

 

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事実と比較して

私の思いが伝わると良いのですが・・・私はヒーローでもなんでもないんですよw

 

先日、テレビの特集で「優生保護法」についてのニュースが放映されていました。

優生保護法 - Wikipedia

 

特集では重度の脳性麻痺の女性が、母親に薦められた避妊治療を受けず(結果的には母親も了承)男児を授かり、出産から現在に至るまでの考えを述べられる内容でした。

 

お子さんが成長される過程で、どんな母親でも、母親として育児への関りは必須です。女性も同様でした。もちろん沢山の支援者の協力で成り立つ育児ではあった様ですが、例えば学校の行事など保護者の参加が勧められるような場合や、日常生活の一コマですら、母親の存在は子供には大きいモノです。

 

そういう時、脳性麻痺の女性が

「もし私が隠れたら、いつかこの子も私を隠すようになる」「だから私は隠れない」

という様なコメントをおっしゃっていました。

「隠す」という言葉の重きを感じて、私は涙が出ました。

 

上記女性と私事を比べるに及びませんが、私も48歳までは健常者で、母親の存在の大きさについて、何ひとつ疑問を感じないで育児をしてきました。

癌が発覚して手術をして、抗がん剤と闘う毎日でも、沢山の方々の理解と協力を頂いて、娘はすくすくと成長させて頂きました。

 

しかし、いざ学校など親が参加する行事に私が出席すると、母子ともに興味本位の目線で、逃げ出したくなる思いを経験した事が、多々思い出されます。

その度に、私はマンガの通りです。

 

「私が恥ずかしいと思うと、娘まで恥ずかしいと思ってしまう」

絶対に恥ずかしい事ではないんだ。病気だったのだから。

生きる為なのだから。

むしろ私の勲章と思っていいのだ。生きる道を選んだのだから。娘にも私の闘病生活を誇りに思って欲しい。

 

ただただモノ珍しい視線に耐えれば、それで終わるのだから!

 

「私が諦めると、娘も諦めてしまう」

だから、声が原因で絶対に諦めない!

カラオケだろうとコーラスだろうと、踊りでもカスタネットでも参加してやる。私は声が原因で絶対に落ち込んだりしないのだ。

 

と思い続け、その都度「勇気」を振り絞って頑張ったように思います。

 

テレビでは、現在30代になられた息子さんとその女性が、仲良くスーパーで食材を選ぶ場面が映し出されました。車いすの乗り降りは、息子さんが抱えられました。

彼女の勇気は、間違っていなかったのだと思います。

 

器用な子供と不器用な子供

登場人物の中で、娘の親友のノンちゃんがとても大人しく表現されています。

彼女は決して軟弱とか、意思が弱いという様なお子さんではありません。不器用と言った方が良いかも知れません。

それは我が娘も同じで、大勢の中学生が注目するような場面で、大声を出せる小学生が何人いましょうか?(芦田愛菜ちゃんなら出来るかな?)

 

それを補うという意味で、保護者(私)が手助けをしてやりたい場面でした。

 

続きですが・・・

いや、続きだからコメントしちゃダメでしょうww

 

 

腸ろう引きずり出し事件のせいで、まだ痛みが残ります。16日に病院のレントゲンを予約をしました。チューブを交換してもらいます。

土曜日にはマンガで登場した3人の親友が、我が家へ集まります。

ちょっと忙しい日々になりますので、次回は23日ごろに予定させてください。

 

ではまた (@^^)/~~~

 お読みいただいてありがとうございました。

 

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