もうタレントさんが走らなくて良いから、私の障害の「声」を聞いてくれ~
24時間テレビが悪いとは言わないけれど‥
毎年恒例の「24時間テレビ」が、来週放送されるらしい。この番組の趣旨は、「福祉」「環境」「災害復興」の3分野を支援する活動という。
しかし障害者や災害に遭われた方の「努力や目標」を強調し過ぎて、正義感溢れんばかりの企画や表現手法に、疑問を感じるのは私だけかな?
私はパーソナリティーの「嵐」が大好きなので、余り否定的な意見は言いたくないのだが、障害者とタレントさん達が、頑張りに頑張って踊ったり演奏したり、それはそれで努力や一体感の証ではあるけれど、わざわざ障害者の「障害を克服」させるかの様な努力は必要だろうか?
「耳の聞こえない」学生さん達に、「音を聞いて」リズムを取る難しいダンスに、挑戦させる意味は何だろう?別に大きな絵を描くとか、手の凝った料理を作るとか、彼らが出来る事に向き合い、協力して作り上げれば十分感動すると思う。
つまり現実の障害者の状態と、演出がかけ離れていると感じるのだ。健常者が感じる「障害者のイメージ」を裏切らない様に、ストーリー化され過ぎている。
そんなに障害者が障害を克服する様な、努力や目標を掲げなくちゃダメなのか?
もっと知名度の低い障害だったり、理解不足に悩む内部障害や精神障障害の、正しい知識を伝えようとする企画は出来ないのかと思う。
認知症の施設などの老人福祉関係とか、重度のALS患者の介護実態とか、脳死移植の医療環境についてなど、重要なテーマはいくらでもあるだろう。
それともそんな事は「教育TV」に任せておけ!視聴率が取れないだろ!って事なんだろうか?
「音声機能障害者」のエピソード
今回は、前回の続きである。
⇧ 沢山のアクセスを頂いた様で、日本人口のホンの一部の方でも「音声機能障害者」の実体験に触れて頂いて、本当に感謝を申し上げたいm(__)m
タレントさんが痩せて走るより、こういう実例を、少しでも多くの方に認識して頂いた方が、より充実した「福祉」支援活動に繋がると思うのは、アホの自画自賛か。
ちなみに上記のエピソードは、私が音声機能障害(簡単に言うと私の場合、癌で声帯を切除して永久気管孔になり、声を出せなくなった障害)になってから、まだ1年前後の話であって、私自身も声の出ない日々を、受け入れがたく感じている頃の話だ。
今現在の私は‥と言うと、声が出ない事に「慣れ」た。
不自由が全くないとは言わないが、人間は慣れる生物だと、つくづく実感する。
その慣れによって、実に人間的に、困ったケースを学習し、それを克服すべく知恵を絞り、そして「文明の利器」を上手に利用できるようになった。
人工喉頭器という文明の利器
一般的な健常者の方は、私の障害を余りご存じない。「人工喉頭器」の音声を聞く機会が無いからだろう。
癌などで声帯を切除した方や、筋肉のマヒによって発声が出来ない方は、病院などから声帯に代わる「音声補助器具」として、人工喉頭器の使用を勧められる。
メーカーで仕様に差はあるが、失った声帯付近に器具を当てて、話をする要領と変わらない方法で舌を動かす。その動きに合わせて発声をしてくれる、正しく文明の利器だ。
使い方は慣れれば簡単だが、音声が機械音で、抑揚の表現が難しい。
障害の当事者と健常者、イメージの相違
声が出ない障害と聞いて、どういうイメージを抱かれるか?
普通に考えると、声を失った人=日常会話の困難 を連想すると思う。
意思の疎通に苦労しそうなイメージではないか?
もちろん人工喉頭器を使っての発声は、練習すれば誰でも上手くなるモノでもない。
術後の皮膚の状態や移植した空腸、喉の詰まり具合など個々で異なる。だから日常会話に苦労されている方が、居ないとは言わない。
また喉の癌に限れば、女性よりも男性が圧倒的に多い。男性が多いという事は、昔で言う「男は黙って‥」の比喩がごとく、文明の利器を使用せず背中で語り、一切喋らなくなった人もおられるか?
※つんく♂さんは歌手であり、そのイメージを大切にされるから、メディアでは声を発しないのであって、自宅では食道発声法等でご家族とお喋りされると聞く※
しかしそのイメージは、間違っている。
日常会話はこの文明の利器で十分こなせる。
他にも方法はいくらでもある。
(食道発声法 シャント法 筆談や手話など)
私は日常会話においての不便は、殆どない。苦労もしていない。
こういうところが、当事者と健常者の「障害者イメージ」で異なる典型例なのだ。
私の声を聞け!
ならば実際に、聞いてもらおうじゃないか!という事で、タブレットで録音した、今現在の私の声をご紹介したい。
※今までブログに音声だけの貼り付けは出来ないと思っていたが、別のブロガーさんが添付方法を紹介されていたので、HTMLに無知のオバサンのチャレンジである。聞こえなかったらスイマセン!
音量に気を付けて下さいね。
『みなさん こんにちは
初めまして かこです
どうぞ よろしくお願いします 』
ど~うだ!!
明瞭に聞こえるじゃろうが!!
次に、男性の声を再現してみた。
『今度は 男性の声です
話をしているのは かこです
私の人工喉頭器では
9段階の声を 表現できます』
ど~うなら!!
明瞭じゃろうが!!
次に日常会話を、カープ弁で再現してみました。
(これでも女優根性出して、娘にアドバイスを受けながら録音しました)
『毎日 暑いねぇ~ 皆さん 身体に気を付けんさいよ~
カープは 頑張りょうるじゃろう!
このままなら クライマックスシリーズは 間違いないけぇ
日本シリーズ目指して 家族で応援しょうでぇ~』
ど~じゃ!
カープは勝つんじゃ!
ちなみに ⇧ この録音された人工喉頭器の音声には、「抑揚」が殆ど無いに等しい。
実は器具自体には「抑揚」どころか、「歌を唄う」機能まで備わっている優れモノである。しかし勿体ない話だが、その機能を使いこなすのは、大変難しい。
下手くそであるが、抑揚バージョンも貼っておく。
『こんにちは 初めまして
私の 名前は かこです
どうぞ よろしくお願い致します』
どうだろうか?余り変わらぬか?
実際に困る事
さてこれからが本題。
日常の会話に苦労していない私が、障害者になって5年も苦労している話である。
私が声を大にして言いたいのは、「興味で見るな!」に尽きる。
滅多に使わない太文字を使うくらい、人工喉頭器を使う私をジロジロ見てくれるな!と、もうお願いで御座いますコトよ。
特にお子様やご敬老の方は、この音声をご存じないから、静かな場所で後ろから聞こえてくる「未知の音域」に驚いて、「何?なに?ナニ~~?」が止まらない。コッソリならまだしも、立ちあがって見回された方がおられた。大声で「何の音???」と叫ばれた事もあった。
次に「どうやって声を出しているのか?」興味津々なのだ。
喉元の小さな器具が見えない場合は、もう「声どっから出てんの?どれ?笛吹いてんの?ロボット?」と、確認したくてしょうがない。傍までやって来て、目を凝らした方もおられた。
そして「納得するまで見続けないと」気が済まない方が、少数いらっしゃる。
小さなお子様は特に、母ちゃんに怒られるまで止めない。最近はもうニッコリ、触らせてあげちゃうもんね。母ちゃんの恐縮ったら、面白い事よのww
困る事2
もうひとつ、私が大変にアセる話を申し上げたい。
例えばあなたが迷子になり、道行く方に道順を質問したとする。
迷子の人は、質問した人が「発声で返事をする」だけを想定しているのが普通だから、私の様に返事が直ぐに声で応えられなかった場合、「何がどうした?」という顔をされるケースが大変多い。
スーパーのレジでも図書館でも、サービスを職業とする方でさえ「何がどうした?」顔をされるので、咄嗟に身振り手振りで応えるしかない。
実は随分前の話だが、身振りで応えようとした私に「あんたオシ(唖)なんか?」と問われ、物凄く戸惑った経験がある。
人とぶつかって直ぐに「スイマセン」と言えなくて、舌打ちされた経験もある。
話しかけられて、バックから人工喉頭器を取り出す間に、何事か!?と後退りされた経験もある。(今のご時世、仕方がない)
人工喉頭器で話すと、驚いて身体が固まった人もいる。申し訳なさそうに、応えも聞かないで、車で走り去った方もいる。
テレビの様に 強くなれない
こういうマイナス経験を跳ね除ける程、「障害者は強くあれ」という様なテレビの演出に、私は乗っかれない。
疲れるし、腹も立つし、引きこもりたくなる。
そしてこういう健常者の行為そのものが、世間一般の障害者への無関心、無自覚、無知の表れだと感じるのだ。
実際に私が健常者だった頃、音声機能障害なんて、知りもしなかった。
もちろん世の中に音声機能障害者がいると疑いながら生活をしろと、お願いしている訳ではない。「直ぐに」声が出せない方がいると、頭の片隅に置いておいていただければ、これ幸いなのである。
弱い私自身を守る為にも、私の障害を知って頂きたいと、それが本音であるが、どうか添付音声と同じ様な声が聞こえてきたら、かこさんと同じ病気の方だ‥と思い出して、ジロジロ見たりしないであげて下さいマセ。
ぶつかっても直ぐに、謝罪の「声が出ない」方に、どうぞご理解をお願いします。
沢山の方にこの添付音声が届けば良いな~。こういう声で話される方が、実は全国に何万人かいらっしゃるのだから。
長い文章にお付き合い、ありがとうございました。
そろそろ障害者の話は止めて、漫画を描いたらどうかと、受験生に言われておる。
なんでや?www
では、また次回(^.^)/~~~