かあさん ちょいちょい がん患者

食道がんと咽頭がんと肺がんのお母さんと、家族と育児の闘病生活をイラスト日記にしました

亡くなった友人との最後のメールと、葬儀後に連絡してくれたママ友の話

年末ですね

皆さま こんにちは(*´▽`*)年末ですから、忙しい日々をお過ごしと思います。

我が家も父の1回忌が終り、今年最後の病院も終了しました。私は日頃が引きこもりですから、刺激が過ぎましたw

 

特に実母と会うと、本当に疲れてしまうのですよ。

 

実母が私に話す「身体や心の痛み」を聞いていると、こちらまで痛くなるのです。

どうして母は「どこもかしこも」痛いのだろう?会うと痛い話ばかりなり。

誰も聞いてくれないの?話してどうなるの?訴える程、口内炎は酷くないよ。食事も全部、食べたよね。元気そうよ・・・って言ったらダメなのよね。

 

おっと~は「年寄りのイタイ病」と、私を笑わせてくれます。

 

前回の続きです

前回はホスピスにいる友人の、病室や会話の様子で終わりました。その続きからです。友人が癌で亡くなった話ですから、気分のすぐれない方はブログを閉じて下さいね。

 

病室での会話

私の抗がん剤や手術等の治療、死ぬ事ですら「経験」と表現した友人は、私の近況や息子の就職先などに話題を向けた。

 

日頃は余り意識した事がないが、健康な人の普通の会話は、それが社交辞令であっても「殆どが未来へ向かっている」と気が付いているだろうか?

 

友人「息子クンは卒業だね。どこに就職が決まったの?」

私「〇〇に決まってね。入社したら暫く研修で実家に戻るの」

 

友人「今の体調はどう?」

私「食事が食べられないから、腸ろうで栄養補給よ」

 

こんな普通の会話ですら、「終わり」を前提に話していない。だから私の話は未来へ繋がっているのだけど、彼女に近況を聞いても、未来を織り込めないから辛く感じる。

 

私「娘さん大きくなったね」

友人「まだ子供だと思っていたのに、これからは どうなるんだろうね」

 

私「旦那さんは元気?」

友人「落ち込んでいるから、私の為に会社を休んで良くしてくれるの」

 

私は徐々に、彼女の近況が聞けなくなった。私の考えすぎかもしれないが、返答に困るのだ。会話が続かない。こんなに会話に困った事はない。

10年前の役員当時の話もしてみたが「役員4人のうち2人が癌なんて‥」などと、必ず会話が現在から未来へと繋がる。

 

いよいよ私の不器用さが出始めた頃、偶然にも旦那様が入って来られた。

私はこれを機にソファーを立って、二人に挨拶をして病室を出た。

「身体が大丈夫なら、またメールを頂戴ね」と言って別れたと思う。

訪問時間は20分位だったと思うが、とても長く感じた。

 

ホスピス病連は、恐ろしく静かだった。

「露天大浴場」と案内された「のれんの奥」が、真っ暗だった。

人感センサーだと思った。

 

メール

次の日のお昼ごろ、友人からお礼のメールが届いた。私を褒めてくれて、感謝が綴られていた。だから私も、出来るだけ元気になってもらえるように、いつもの通り絵文字や顔イラストの入った、お礼と感謝のメールを返信した。

 

「私もメールしようと思ってたんよ。

 只今ぬくぬくの風呂上りw

 昨日はそのまま爆睡しちゃったから、今からビールならぬヤクルトじゃ!」

という様な、私らしいバカな文章で始まる、極めて普通のメールだと思う。

 

その二日後の夜に、友人から返信が来た。その中に、

「・・・お風呂 気持ち良く入れるんだね‥ヤクルトも‥」と記してあった。

私はハッとした後に、泣いてしまった。

 

長い闘病生活を送ると、必ず経験する。

お風呂は、至難の業なのだ。

 

友人はもう、一人でお風呂に入れないと気が付いた。本来のリラックスするとか、疲れを癒す至福のお風呂には、もう入れない。

お風呂上りに、気持ちよく飲み物を飲む事も、出来ないのだ。 

 

そして、回復の見込みもないと、知っている。

その思いは、どれほど辛いだろう。

「経験」だなんて、やっぱり簡単には、生への思いを諦めてなんかいない。

 

そう考えたら私は、優しく可愛いメールを送ってくれる友人に、どう返信して良いか、増々分からなくなってしまった。

 

友人の病状を、私が知らない事に出来なかった。

根拠もなく励ますことが、出来なかった。

大丈夫とも、頑張れとも、言えなかった。

人はどんな言葉で、死に向かう人を励ますのだろう?

どんなに考えても私には分からなかった。

 

次の朝、悩んだ私は「叔母にもらった布団がどれほどフカフカだったか」について、まるで商品説明の様な文章を送り、その3日後に友人から「気持ちよさそうだね」という会話で、メールを永遠に終えてしまった。

 

私は友人の死に向き合えなかった。

自己嫌悪に感じる。

 

友人の葬儀の後 知らせを受ける

友人が亡くなったと知らせを受けたのは、もう葬儀が終った後だった。

最後のメールから、2カ月後くらいだと思う。

12月に友人の状態を知らせてくれた共通の友人とは、別のママ友が電話で連絡をしてくれた。(ママ友も小学校卒業以来、10年ぶり)

 

私は知らない電話には出られないので、おっと~が最初に応答してくれた。

ママ友は「友人が亡くなった」「小学校の同級生のご家庭に連絡をしてくれる様に、友人の旦那様から頼まれた」「葬儀は親族だけで行った」等を、おっと~に伝えた。

 

そして、電話を私に代わって欲しい、と言った。

 

電話を代わるのは当たり前の話だが、おっと~は「どうやらママ友は、私の事情を知らない」と感じて、電話に出る前に「病気だ」と伝えたらしい。

 

そして私が電話に出ると、ママ友は まさしく「息をのんだ」

 

ママ友は、お医者様だ。

私が「3年前に咽頭癌と食道癌で・・・」等と言うと、総てを言わなくても状況を把握して、泣き出してしまった。そして「何も知らなくて、ごめんなさい」と謝った。

本当に可哀そうな事をした。

 

少なくとも大切な友人を亡くしたママ友は、それを知らせる辛い電話で、同時に「私の声」まで失ってしまった。

 

暫くは私の病状、亡くなった友人の状況やお見舞いに行った時の話などをしたが、やがて息子の酔っぱらい話などで、少し笑い声が戻った。

 

そしてママ友が、最後に私に言った言葉で、私は深く印象付けられる。

 

「かこちゃんは役員当時から、ずっとカッコ良かったから、これからも、ず~っとカッコ良いかこちゃんで居て下さい。きっとどこでも必ず、会えるから」

 

未来へ繋がる言葉

ママ友の言葉の「カッコ良い」はお世辞だが、それでも私を褒める言葉が、過去から未来へと繋がる表現だった。

 

「過去もカッコ良かったから、今も、未来に何があろうとも、あなたはカッコ良い」そして「どこでも必ず会える」のだから、それまではカッコ良くいて欲しい。

 

場所や未来は、言われた本人がどう捉えるかで、随分と違うイメージになるだろう。

それでも、たとえ病気であろうと障害者であろうと、亡くなろうと、ずっと「あなたにはカッコ良くいて欲しい」という希望を、素直な言葉で表現していると感じたのだ。

 

私が亡くなった友人に、言えば良かった言葉だ。

 

本当に、伝えてあげれば良かった!

「あなたはずっと優しかった。可愛らしかった。だから今も、これからも、あなたはずっと優しいままです。そのままでいて下さい。またどこかで、必ず会いましょう」

 

 最後に

亡くなった友人がお医者様であるママ友に、私への「亡くなった連絡」をお願いしたのは、ママ友がきっと「生と死に関する人生のヒントを、簡素な言葉で表現できる人物だったから」ではなかろうかと、今思っている。

 

お医者様とは、そういう仕事であると同時に、ママ友の知的で素直な優しさが、人(患者さん)を魅了するだろうと感じる。ママ友は、良いお医者様だと思う。

 

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過去のイラストです 

 

長くなりました。

輪廻転生や魂の復活など、私は無宗教者ですので、そういう考えが正しかどうか分かりません。でもまたどこかで、友人に会えるような気持ちでいます。

読んで下さってありがとうございました。

 

来週は娘の三者懇談や歯医者さんなど、またまた色々あります。

お掃除も頑張る?イヤ!しません!

ではまた(@^^)/~~~

 

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