かあさん ちょいちょい がん患者

食道がんと咽頭がんと肺がんのお母さんと、家族と育児の闘病生活をイラスト日記にしました

喪中のハガキが届く頃 亡くなった友人の話

お気を付けくださいマセ

今日のお話は、私が寛解を迎えて穏やかな気持ちの頃に、ブログで記そうと思っていた内容です。

癌で亡くなった私の友人の話ですので、もしご気分が優れない方がいらっしゃったら、このままブログを閉じて下さいね。

 

私は元気ですヽ(^o^)丿

つい先日、舌に「ゴトッ」と歯が落ちて来ました。どうやらブリッジにしていた支えの歯が、虫歯で折れてしまったらしいのです。残った根本も役に立たない様なので、一昨日抜いてきました。

ただ今 歯抜けババァです。

痛みはありません。

 

来週からは、今年最後の病院やリハビリと、父の法事やお歳暮の世話など、田舎での慣習が待ってます。ちょっと頑張る必要がありそうです。

 

喪中のハガキ

私も今年は、喪中のハガキを作りました。

そして毎年、喪中のハガキが届くのにも、慣れる歳になってしまいました。私も友人も、ご両親のどちらか(もしくは両方)が亡くなる年齢になったのです。

11月末頃から数枚、喪中のハガキが届きます。

 

今年はそれが「ご両親のどちらか」でなく、「ご本人」が亡くなったというハガキが2枚も届きました。

お一人は私の独身時代の先輩です。まだ58歳と聞きました。とても美しく華やかな方でした。病気を知らなかったので、とてもショックでした。

癌の治療から、数ヵ月だったそうです。

 

もう一人は、私の息子のママ友です。

息子が小学校6年生の時、クラス役員になる人が居なくて、散々もめた結果、2度目の役員長を引き受けてくれた、そういう人柄の女性です。

(私の場合は順番ですが、一緒に仲良く役員をしました)

 

卒業と同時に旦那様が転勤になり、近郊の他県に引っ越しになりました。それ以来、会う事は難しくなり、私も癌患者になりました。

 

昨年12月頃

ちょうど1年ほど前のこと。(以下だである調)

電話が出来ない私のところへ、共通の友人が訪ねて来てくれた。

手術で声を失った私は、携帯電話をタブレットに変更し、メールアドレスも無料のアプリを使用していた。小学校6年当時のメールアドレスでは、連絡が付かなかった様なので、共通の友人に依頼したという。

 

その時に彼女は、私がメインで通う大学病院の近くへ入院していた。その病院の癌専門の緩和ケア病連に居るという。

出来れば会いに来て欲しい、との伝言だった。

共通の友人は、クリスマス頃に子供達とサンタの姿でお見舞いに行くと、泣きながら教えてくれた。

 

私は直ぐに行けなかった。

父親が死にそうだったこと、私もPET検査を控えていたこと、精神的に受け入れられるか不安だったこと、おっと~が私を心配してしまうこと・・・

いろいろ考えて、年が明けるまで待ってもらった。

 

今年1月頃 緩和ケアへ

父が亡くなり身辺も落ち着いた頃、彼女にメールで確認の上、緩和ケア病連に会いに行った。小学校の卒業以来、10年ぶりだった。

おっと~が連れて行ってくれた。おっと~も彼女を知っているが、私との時間をゆっくり持てる様にと、駐車場で待っていた。

 

その病院は、田舎者の私には、超豪華マンションかホテルの様に見えた。

駐車場も大きく、1階にはコンビニとは思えないほどの立派なストア、医療品や衣料まで置く立派なドラッグストアもあった。

 

緩和ケアは最上階だという。

10階だったように記憶している。

 

大きなエレベーターで上がっていくと、ホテルのロビーの様な、シャンデリアに柔らかな音楽が流れるフロントがあり、広々とした談話室にソファーが並んでいた。生と死についての穏やかな文章が、見事な達筆で飾ってあった。

 

彼女の部屋まで案内されたが、廊下には可愛らしいお花が飾ってあり、向かい合ったソファーや大浴場などの案内が見えた。絵画も版画も飾ってあった。優しい照明で、柔らかい雰囲気が演出してあった。

 

違っていたのは、働いている方が、看護師さんだった。

そして恐ろしい程、静かだった。

誰にも会わなかった。

 

病室へ

病院の扉とは思えない様な、お洒落なドアをノックして開けると、彼女の娘さんと、もう一人知らない人が居た。

彼女はベットに、体を起こして座っていた。

 

部屋は10畳くらいあったかな?

入り口の横に、トイレとシャワーが付いていた。

ベットは、大きな窓に向かって置いてある。フカフカの布団だった。

ベットの横には、長ソファーと小さなテーブルがあり、来客者はそこに座って、ベットの彼女と話が出来る様になっていた。

立派なテレビがベットの正面横に、窓の景色を邪魔しない位置に置いてあった。

窓からは、10階から見える見事は都会の風景が広がっていた。

 

私はその病連を、ひとつひとつ、異常なほど覚えている。

緩和ケア病連に入るのは、初めてだった。

私にも、必ず必要になる時が来ると思っていた。

人が死に逝く場所のひとつと、認識していた。

 

彼女の声

人は10年も会わないと、誰か分からなくなるほど変わる人もいる。太ったり痩せたり、白髪になったりシワが増えたり・・・

でも10年ごときで変わらないのは、「声」だと確信した。

本当に可愛らしく、ちょっと高めで甘える様な、彼女の声が聞こえた。

 

「かこちゃん!よく来てくれたね~!夢みたい!」

 

という様な会話を投げかけてくれた。

返事をしようにも、彼女は私の「声」を知らない。いつもの通り、人工喉頭器をみせて、ゆっくりと喉元に運び、話した。

しかし私は、何をどう言ったか?覚えていない。

 

彼女は癌の末期患者だった。

それは知ってはいたが、衝撃だった。

小林麻央さんは、私が恐れていた身体、と表現されたと記憶にある)

 

普通の同窓会の様に、容姿の話が出来ないうえに、私は声を失っている。でも 彼女は、私の声に驚かなかった。「共通の友達から事情は聞いたのよ」と言い、それから「かこちゃんも大変だったね~」と私をねぎらってくれた。

 

彼女の病状

私を気遣って、娘さんともう一人の方が廊下で待つように、部屋の外へ出た。

娘さんは当時5~6歳くらいだったのに、高校生になっていた。もう完全に誰か分からない。それからご家族の近況報告や、彼女の病状を聞いた。

 

息子さん(我が息子の同級生)は、立派に独立された事

彼女は、両親の介護と仕事で、忙しい日々が続いた事

ずっと続いていた腰痛は、介護が原因だと思っていた事

父親を送って落ち着いた頃、腰が痛くて動けなくなった事

実はそれが、骨や肝臓へ転移した癌の痛みだった事

原発の癌は、もう治療が難しい程、進行していた事など

 

「もう痛くて、どうにもならなくなったから、ここへ入った。今は痛み止めで治まっているから、一日中寝ていることもある。体力の低下が著しい。治療もしてみたが転移は治まらず、抗がん剤放射線もしなかった」

という内容の具体的な状態が、私には手に取る様に分かり過ぎるので、慰める事も、ごまかす事も、知らないフリも、大丈夫とも言えなくて、ただただ聞くしかなかった。

 

私の病状

それから私の病状を聞く彼女に、私は私の「酷かった事」だけを伝える様に話した。

意識的に酷く話した様に思う。

 

抗がん剤は、例えようも無い程、辛かった

手術は、痛みを伴う大変な症状だった

仕事も何も、中途半端に辞めざる負えなかった

声を失い、食事も取れなくて、人間の生きる状態でない等・・・

 

普通はこんな話をしない。

私は友達と病気の話をする時も、極力前向きな話題をする様に心掛ける。健常な友人にとって、私の辛い話は友人も辛くなるからだ。

 

でも彼女には、前向きに病状を語ってはいけないと思った。

 

私は抗がん剤や手術で、死ぬのと同じくらい辛い目にあったのだ。もしかしたら死ぬ以上の苦しみだったかもしれない。そして術後も障害が残り、それはそれは酷い状態が続いていると語る。

それで彼女が、「かこちゃんも私と同じくらい苦しんだのだ」と認識してくれた方が良かった。これ以上治療のできない彼女の「嘆き」が、私の回復に直結しない様にと考えたからだ。

 

そうして一通り、私が辛い闘病記を語った後、彼女はこんな風に言った。

 

「そうか~、抗がん剤や手術って、やっぱり辛いんだね。

でも、何事も経験だもんね。死ぬのも経験だから」

 

思いもよらない感想だった。

私はこの「経験」という言葉に、衝撃を受けてしまった。

 

経験

経験という言葉に、どんな思いが込められるか?

もちろん彼女の本心は計り知れないが、この場合の経験とは、「挑戦する」とか「体感してみる」といった、非常にポジティブな思考が感じられないだろうか?

 

死ぬのも経験

 

確かに命ある者が生まれる経験をしたら、その後に必ず死ぬ経験をする。

でも実際は、死んだ経験の「その先」がないのだから、出来るだけ死ぬ経験をしたくないのが、本能的な考え方ではないだろうか?

 

でも彼女の言い方には、それを感じなかった。

抗がん剤の辛い経験も、死ぬ経験も、何だか「その先」がありそうな感じがする。

(実際に抗がん剤は「その先」を前提にする治療ではあるけれど)

 

緩和ケア病連という、治療が目的でない症状で入院中の彼女は、もしかしたらもう死を受け入れて、穏やかなのかもしれない・・・。

そう勝手に解釈してしまった。

 

ところがその面会後に、私と彼女はいくつかメールのやり取りをするのだけれど、ほんの一言に、彼女の嘆きを表現されて、私はメールの返信が出来なくなってしまう。

 

その話は、長くなったので、また来週にしようと思います。

お読みいただいてありがとうございました。

癌の種類は違いますが、同じ癌で亡くなる友人や先輩に、思いを込めてブログに記しています。

 

では、また来週(@^^)/~~~

月曜日は、病院に行ってリハビリしてきますね。

 

PS/娘ちゃんの恋のマンガも、忙しすぎて描けません。

ごめんね~m(__)m

Twitterでアップしましたけど、「NO6」です。

席替えをしたそうですよww

 

 

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アオハルですよね。イケメンはどこまでもイケメン。羨ましい男性諸君もいらっしゃる事でしょうねww

 

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