人の命は平等だろうか?元癌患者が考える
前回のお礼
私と亡き友人とのエピソードについて、本当に沢山の方が訪問して下さいました。コメントやTwitterのDM等でも、沢山のご意見を賜りました。
読んで頂いた方それぞれに、様々な感想があったと思います。
ただその中に、友人への見舞いもメールも、気の利いた言葉もない私を、卑下したり責める様な方が誰一人としておらず、大変難しい場面であったと理解して頂いた様に感じました。
感謝を申し上げようと思います。
本当にありがとうございました。
読者登録の方も大勢になりましたが、私のブログはいわゆる日記と違い、週に1度か、月に1度か‥マメに更新できません。個人的な内容や、醜聞も愚痴もありますので、ご了承ください。ごめんなさいね m(__)m
人の命の平等さ
難しい内容ではなく、私個人の気持ちです。(以下 だである調)
実は頂いたコメントの中に、同じ癌という病気でありながら、亡くなった方もいれば、進行度に関わらず回復の兆しが見える方もいる。診断や治療方針だけでなく、家族や本人が疑問に思う事例について、印象深いお話を頂いた。
私が今回のブログでタイトルに使った「命の平等」についてだ。
「人の命は平等じゃないんだもの」というセリフをご存じか?
これは「MONSTER」という浦沢直樹さんの漫画に出てくるセリフだ。
1986年のある夜、ドイツの大病院に「トルコ人労働者」が先に、「高名なオペラ歌手」が後から運び込まれる。そのどちらを、誰が、緊急手術するか?
病院の方針は、「天才的な脳神経外科医師の主人公」を「オペラ歌手」に従事させる。その結果、先に運ばれた労働者は亡くなってしまう。
労働者の家族に責められ、罪悪感に苛まれる主人公に、彼の高飛車な婚約者が言ったセリフだ。
もしも・・・
ちょっと想像力タイム!
あなたが命に関わる重度の病気や事故で、緊急手術が必要になったとする。そのほぼ同じ時刻に、国内外の要人が同様の症状で、同じ病院に運び込まれたとする。
(「ABさん」とは申しませぬw。「皇族の方」でも良いし「重要ポストの外交官」でも、「超有名セレブ芸能人」でも良いと思う)
その病院は、どうするだろう?
私は病院に勤務の経験はないので、どうするかは分かり兼ねる。
でもその時に手術室が1箇所だったら?ベテランと新人の医師しか居なかったら?大勢がパニックの大惨事だったら?等々・・・
どんどん想像力は、あなたに対して、意地悪な方向へと進まないか?
話が飛躍しすぎかも知れないが、難民の方々やテロ地帯に住む方々の命と、平和で裕福な国の方々の命もしかり、ホンマに平等なのかと、疑問に感じないだろうか?
移植医療における「命の順番」
想像はさておき、⇩これは以前にマンガに描いた、私の経験した初めての物凄くリアルな「命の順番」についてだ。
例えば臓器移植による手術を行う場合、移植希望者に順番が付けられるのは、想像に易い話だと思う。
いざ臓器提供者(ドナー)が現れた段階で、(移植希望者選択基準に基づき)移植者をコンピューターが公平に選ぶ。誰に臓器が移植されるか決定すると、その移植候補者(レシピエント)に決定事項を知らせる電話が届く。
しかしもし、移植希望者本人とすぐに連絡が付かなかった場合、その移植権利は、次の後者へ回ってしまう。(詳しくは下記のリンクへ)
日本臓器移植ネットワーク | 臓器移植について | 移植希望の登録から移植を受けるまで
それも当然ながら、特に希望者の多い「腎臓」に関して言えば、希望者数が2018年11月で「12,064」人、移植件数が「131」件という、数字だけ考慮しても非常にリアルな「命の順番」を感じる。
この「移植希望者選択基準」が「平等な順番」であると、私は疑う余地もないけれど、当事者の方々にとって、もし納得できない部分があれば、それは許される事ではないと思う。
「運」なのか?一期一会か?
病院や医師とのめぐり合わせも、「命に平等」とは言えないかも知れない。
私は田舎の中堅の町医者に「喉のつかえを相談」した事がきっかけで、癌が発見される。その後は「紹介された大学病院」に行き、その指示に従い、あっという間に手術が決まる。
※どうやら偶然、最初の中堅病院の担当者が大学病院の教授と知り合いで、しかも地域医療連携病院だったらしい。当初、私は知らなかった。
紹介された大学病院の教授は、有名な人らしい。
「わははははは~~~!かこさんは凄く元気になりますよ~~~!!」と言って、そのままどこかへ消えてしまう様な忙しい方で、滅多にお会いできない。私からすれば、教授が私を診てくださった様な記憶が殆どない。
では今更ながら、私の主治医はどうやって決まったのか?
果たして「平等に選ばれた」医師なのか?
それも知らずに私は、もう5年も無事に生きている。
しかし間違いなく、私の主治医は素晴らしい。
これは私の「運が良い」のだろうか?たまたま偶然に巡り合ったのか?
それとも私の症状が、軽かっただけだろうか?
医師と患者の関係
田舎の患者の殆どは、医師を選べない。時に病院すら選べない。
しかし医師にも気の毒な事に、技量だけでなく患者の感じ方だけで、単純に「良い医者」と「悪い医者」と区別されたりする。圧倒的情報不足だ。
以下は大病院で、私が聞いた待合室での会話。
田舎の町医者から紹介されたご夫婦が、緊急治療で診察に来られない主治医の愚痴を話す。徐々に奥様が「主治医は優しすぎる」となり、「優しいから夫が好き放題に食べてしまう。もっとガツンと注意してくれる医師が良い」となる。(なんじゃそりゃ?)
それなのに主治医が来られると、急に米つきバッタの様に、ご機嫌を伺う。
どっちが気の毒なのか?アホらしい・・・
担当医が、何故その医師なのか?その日に当番だった偶然からか?それとも症状を加味した結果、選抜された医師なのか?
病院側からは殆ど知らされないから、患者も医師の言い方ひとつで、愚痴も出る。
医師側から診ても「果たしてこの患者は、僕で良いのか?」と思わないのだろうか?
その為の「セカンドオピニオン」
セカンドオピニオンとは、医師の診断や治療法について、患者が別の医師の意見を求めることである。
これも私事だけど、私の母が「痛い」病だ。正式な病名は何だか知らないけれど、会う度に「痛い」話ばかりなり。田舎の中堅病院に診てもらったが「イタイ」ままらしい。だから私の通う大学病院に、診てもらえないかと考えた。
それを先日、大学病院に問い合わせてみる。すると判でついたように「紹介状」「検査結果」「既往治療」の必要性と「セカンドオピニオン」について話す。
そして「元の先生に気兼ねする様なら、ウチでの治療は難しい」とおっしゃる。
あ~やっぱり、一般人の命には、「気兼ね」が必要なのね~、とは私の感想。
もちろん病院側は、当然の要求だと思う。
しかし他県の大病院に主治をお願いした私の場合、逆に近郊の小さな町医者では、ハッキリと「あんたは手に負えん」とは言わないけど、「主治医の指示を仰いでくれ」とばかりに、やっつけで痛み止めや漢方薬の処方で終わってしまう。
セカンドオピニオンは クソもへったくれも 簡単ではない。
その結果、重症の患者は大病院に集中し、2時間待って5分診療。田舎の町医者は、冗談抜きで、年配者の集会場の様になっている。
やはり「平等」は、大変難しい。
人の命に平等に関係あるのは‥
例えば、どんな医療現場でも使える「体質」とやらがある。
⇨あくまで私の意見!医療知識が私にある訳もなく、悪しからず。
私は「空腸」を喉の部分に移植している。無事にくっついているが、殆どの食物が「通過しない」ので、5年経った今でも腸ろうで栄養補給をしている。ところが人によっては、数週間くらいでサクサク食べられる。
また永久気管孔の癒着で呼吸が苦しい方も居るのに、私は一度も狭くなっていない。
同じ様な経験をした方は多いはず。
抗がん剤や放射線の副作用も「体質」によって違うのだという。オプジーボは末期癌でも効果があり副作用が少ないと言われるが、実は全く効果のない方もいる。
こんな違いについて、主治医は私に「体質」と言う。
同じ治療をしているのに、極端な違いを認めざる負えない。どんな優秀な医師であろうと、最先端治療だろうと覆せない「体質」とやらに、もうどうしようもなく情けない思いを抱いている。
DNAだか、民族だか、環境だか知らんけど、この人間の不平等な「平等」を、受け入れざる負えない事例である。(この受け入れが、簡単な様で一番難しい)
もう一つの「平等」
私は沢山の方と、コメントのやり取りやDMをしている。病気のご本人もいれば、そのご家族もいる。そして、そのほぼ全員に共通している事は、「健康を願う気持ち」と「生きる気持ち」だ。
精神医療を受けられる方で、病気の症状による希死念慮が浮かぶ時もあるそうだが、それでも健康への思いは同じだと思う。
どうぞ家族が健康に、幸せに暮らせますように!
この願いが、「人の命の平等」を支えている様な気がする 。
オチも結論もありませんが、読んで頂いてありがとうございました。
どうか皆さまが健康で幸せな年の瀬を迎えられますように、心から願ってやみません。どの方も平等にお元気で、良いお年をお迎えください。
また、来年お会いしましょうね。
娘の初恋マンガ
Twitterで流しましたが、以下はフィクションです。娘を取り巻く恋の環境が、余りに早くて追い付きませんので、失恋させちゃいましたwww。
でもこういう失恋なら、きっと優しい心の成長に繋がると思って描きました。
ラフ画でスイマセンm(__)m
こういう男の子、どこかに居ないかな?フ(* ̄▽ ̄)フフフッ♪