不登校のお子さんと 娘達三人のお話2
前回、Aさんと3人の考え方に食い違いがみられたところまで記しました。
今日は続きです。
救われた事
最初にこの問題が発覚したのは、3学期の始業式の数日後です。
始業式の当日頃 4人でやり取りがあり、翌日Aさんが学校を休んで発覚しました。
それが救いだったと思っています。
もしこの様な考え方の食い違いが「長期休日前」つまり2学期の終わりだったら、冬休みの間の4人がどのような気持ちで過ごす事になるか、想像に容易いと思います。とてもプラスの思考には移行しません。
休日の間に保健室や担任の先生が相談にのる事もなく、親はそういう話題を「お休みにまでしない」ご家庭も多いと思います。(我が家も同様)
限られた数人のお友達とのやり取りだけで、休日が明けてから窮地に追いやられる子供がいるというのは、こういう事例があるからだと思います。
今回はいじめなどの要因はありませんが、そういった場合は もっと悲惨な感情が渦巻く状態に陥ったと思います。
意見の食い違いの原因
娘が我が家で不満を言うようになるまでに、3人の中に少しずつ鬱積されてきた不満がありました。それは 前回も記した様な内容です。
当初から3人の中では「お手伝いをしてあげる」という意識がありました。しかし後半になると保健室や担任の先生はじめ、Aさん本人も当然の様に扱っていたと言います。
娘の言葉通りでは
「目を合わせてうなずくだけで、迎えに行く合図になった」
「ランドセルや連絡帳を 代りに受け持つのが当たり前」
「持ち物などは本人でなく 3人の誰かに渡される」
などなど、感謝の言葉は聞こえてきません。
起爆剤になったのは「迎えに来るのが遅い」と怒られ、「クラスのお友達の悪口」などAさん本人が言葉にする不満が「上から目線に感じられて」腹が立ったと言います。
この娘たちの鬱積は、Aさん本人には正に「青天の霹靂」「寝耳に水」に感じられました。保健室や担任の先生には、突然の「3人の反抗」とか「お手伝いから逃げた」「気まぐれな気分変り」などに感じられたと思います。
担任の先生は3人を呼び出し、説得されました。
※しかし そもそも「お手伝いをしてあげる」「してもらう」関係が、友達と呼べるのでしょうか?教育者がよく言う「友達や仲間関係の定義」に疑問がうまれます。
クラスは皆は「お友達」「仲間」
学校のみんなは「お友達」「仲間」
同じ空間にいるだけで「お友達」「仲間」
この無理な教育はいつからでしょう?
余談
大半の大人は、不登校の辛さや苦しみを理解して、自尊心を失わない様に対策を考え、応援する気持ちを持っています。
しかし大人の対応が難しく、不登校のお子さんを、例えばナイーブではれ物に触る様に扱ったり、同情心の様な気持ちから、優しい態度や特別扱いに心を込めたりします。
しかしそれは、小学生の子供たちにとっては「ひいき」だったり「特別優遇」にしか感じられない例は少なくありません。
例えば、大人から見れば「宿題をしないのは損になる」と分かります。ですが子供から見れば「なぜしなくても良いんだ?」となります。
マラソン大会で 普通は汗水たらして頑張っている子供の横で、なぜ一周走っただけで許されるのか?大人は理解しますが、子供は理解しません。
学校を休んで外出していたとなると、子供の気持ちは「さぼっている」以外の何ものでもありません。「泣けば許される」「学校を休めばやらなくて済む」などの誤った感情に取り付かれる事もあります。
娘達3人も 同様の感情を持つ様になっていました。
どうしたら解決するのか?親の私も分からない
3人は先生に 上記の様な気持ちを話します。
私にも 切々と訴えました。
ここで私は 心底 難しいと感じました。
「仲の良いお友達じゃないの?残り少ないのだから、最後までお手伝いを頑張りなさい」と促すのが良いのか?
しかし1人だけ中学校も同じBさんは、どんな思いでしょう。
「しんどくなった気持ちを理解するから、もう他の人に替わってもらいなさい」と辞めさせるのが良いのか?
しかしAさんの気持ちは?望みは?
これが大人のもめ事であれば、Aさんの気持ちも3人の気持ちも、両方を理解して認めたうえで、穏便に事を運ぶ術を心得ます。
しかし子供たちを導く立場としては、白か黒か明白な答えが出ませんでした。
先生は「最後まで面倒をみる」様に勧められました。
しかし3人は納得できません。
同時進行で お手伝いをする人を決めなくてはならない
この件と同時進行ですが、3人がお手伝いを放棄する様な状態の時も、当然Aさんが急に教室に1人で来られる様にはなりません。
むしろ、また長期欠席や卒業式の問題も浮き彫りになるでしょう。
保健室や教頭先生が付き添ったり、クラス全員で給食前や下校時に、ゾロゾロ迎えに行って大騒動になったそうです。
正直に書きますが、クラスの中の大半は「どうでもいい」組です。
Aさんの問題をクラスで話し合うにも
何故3人が嫌がり始めたのか?
Aさんの気持ちはどうなのか?
殆どの子供は全く問題にせず「3人に任せっきりは良くなかった」とだけ認識し「Aさんを学校に来させれば良い」とだけ感じた様です。
その通り、お手伝いがお遊び会になってしまったのを、娘は冷ややかに報告してくれました。Aさんは保健室から出なかったそうです。
ここでDさんに白羽の矢が立ちます。
Dさんは、クラスの優等生で・・・というと聞こえは良いですが、ママにお伺いすると、実は人の嫌がる事を押し付けられて、家で泣く様な事が何度もあったそうです。
案の定・・と思い、胸が痛みました。
Dさんが娘に連絡をくれる
Dさんが娘たちの代わりをしてくれている間、先生も学校も特別な指導は聞こえてきません
少し落ち着いて来たのかな?
と安心していたのですが、娘にDさんから連絡がありました。
(Dさんは2人が3歳からの幼馴染で、塾や習い事も一緒に行く、これこそ親友です。クラスの中では、それぞれの仲良しグループがあった様です)
Aさんが3人の事をとても悪く思っている。
聞いていてしんどいし、辛い。
私から内容を聞いたとは、誰にも言わないで欲しい。
4人で解決して欲しい。
との事でした。
これは有難いというか、Aさんがどのように思っているか?
直接聞く事の出来ない私達は、彼女がきっと傷ついているだろうし、彼女の考え方や感じ方を聞いておいた方が、3人に助言も出来ます。
私の心に重くのしかかったのは
「3人に裏切られた。人間不信になりそうだ」
という言葉でした。
小学6年生の言葉が、どこまで真に迫っているか、大人の様に深く重い言葉であるかは図り知れません。
しかしAさんの気持ちを鑑みると、そう言わしめた背景に娘の行動があると、非常に責任を感じました。
また娘たちは3人でAさんの愚痴話も出来ますが、Aさんの立場は1人です。
AさんがDさんに、愚痴のひとつも言って当たり前に思います。
むしろ内に溜め込まないようにDさんに吐き出していた事で、少しは救われているかも知れないと感じました。
ところが娘は、これも納得できません。
おっと~と娘と話し合い、Dさんに聞いたとは絶対に言わないと約束してから、私は人生で2度目(一度目は息子の時)、担任の先生へお願いを申し出に学校へ行く事にしました。
これが結果的には良かった半面、娘の大激怒が起こります。
担任の先生の言葉が、怒りや反感の心情を起こさせたのです。
また長くなり まとめられなくて ごめんなさいねぇ。゚(゚´Д`゚)゚。
続きは 次回でお願いします。
私事なのに、皆様の参考になるでしょうか?
興味がない方は 本当に申し訳ない!!
子供の教育は、一筋縄ではいかない難しさを感じます。
ありがとうございました。
また来週~(。^ω^)ノ゙♪
※私は電話が出来ませんので、娘やお友達ママからのメールで進行状況を把握していました。これほど不便に感じた事はありませんでした。先生からの連絡はありません。
※Aさんのご両親を、私たち夫婦はお互いに知っています。朗らかな方です。
しかし学校でお会いした事はありません。行事には参加されない様で、どのように思われているか、全く分かりませんでした。