私が子供の頃に経験した宗教観と、子供への影響
トピック「宗教」について
昨日我が家で、お墓の移動に伴うお祈りが行われました。
正式にどういう儀式名になるのか分かりませんが、お寺からお坊さんがいらっしゃって、綺麗に地盤を固めた新しいお墓にお祈りをあげて、親族の数人が交代でお線香をお供えしました。
こういう法事の時などにつくづく思うのですが、いったいお集りの方々のどれくらいの人が、儀式の意味を理解されて、その重要性を感じているのか?
これまでのブログと、ちょっと路線が外れますが、私の宗教観を記してみようと思います。(興味のない方はパスしてくださいね)
私は、宗教心に否定的なのではありません
私の様な大病を経験すると、自分の死を具体的に考えざる負えない経験をします。
それは家族の今後や私の死後の生活といった現実的なものから、お葬式やお墓など、儀式的な事から必要経費までの全般です。
もし心から大切で愛している方が亡くなった場合、その亡骸をいつまでも身近には置けないので、お墓や位牌などの象徴的な偶像にその魂を込める、という気持ちは心から理解できます。(最近では写真を3Dプリントする方もいらっしゃるとか)
死後の世界があるのなら、そこで苦労なく愛する人と生活したいと思う気持ちも、誰もが思い願う世界観でしょう。
また現実の世界で辛い事があった場合や、強い信念を貫き通す場合などの「心のよりどころ」として、宗教は大切な存在であろうと思います。
私も息子の受験の時は、誰だか分からない学問の神様に、お祈りしましたもん。
手術の前は、これまた誰か分からない神様に、頼ってすがりましたもん。
お守りをいくつ頂いた事か!
無宗教ではあるが宗教心を大切にする考え方は、日本人的であるといえばそうかもしれないですね。その都合や季節まで考慮に入れた神様が、ごろごろいらっしゃるのも日本的です。
私が中学生の頃の経験
いまから30年以上、前の話ですよ。
当時は携帯やネットどころか、ビデオを録画することが精一杯の情報文化です。知りたいことがあっても簡単に調べる事は出来ない時代でした。
母親に辛い現実があったのか、何かにすがろうとしていたのか、それとも強引な勧誘にでもあったのか?
はっきりとは分かりません。
私は母親と共に、とある宗教集団へ参加したことがあります。
私の自主性は0%ですから、母親の強制です。
その集団の方々は、今になって調べてみると、法人として各地に存在が確認されます。ですから具体的な言及をいたしませんが、とにかく、お祈りなのか、お経なのか、呪文なのか、その言葉を大声で叫び唱えながら、良い表現が思いつかない程の騒乱状態でお祈りを捧げます。
たたが中学1~2年生だった私は制服のまま、ただただ、その祈りに驚き、耳を塞ぎたくなるような喧騒の中、陶酔に浸る信者の方々に恐れを抱きました。
それでも数人の女性の方々に囲まれて、正座をさせられ、幾度となく大声で唱えるように強要されます。時々は小中学生くらいの子供ばかりの部屋で、勉強会の様なものまでありました。
いったいその間、私の母親は何をしていたのでしょう。記憶に残されていません。
何度となくその集会に参加させられるうちに、何かがブチ切れたのか、私はバカでかい声でその呪文なのかお経なのか、唱える事に慣れてきました。
すると信者の女性方々が
「あなたの口や体の全身から、神様(これは具体的な言葉でした)が溢れ出してきましたよ。分かるでしょ!見えるでしょ!私には見えますよ!しっかり出ていますよ!」
「遂に〇〇に達しましたよ~」(これも具体的な神様に近づくという意味でしょう)
「感じるでしょ!神様があなたに移られましたよ!」
そんな類いの言葉を、何度も投げかけてきました。
※神様がどなたなのか、言及いたしません。
その時、私が何かを感じて、見えて、分かったったか?
はっきり申し上げて、
分かる訳がありません。
見えても、感じてもいません。
ただ大声でやけっぱちで、何やらを唱えただけです。
私は当時流行していた「心霊写真」を思い出して、怖くて吐いてしまいました。
口から白い煙の様な恐ろしいものが、どんどん吐き出されているところを想像しました。気持ち悪かった。今でも不快になります。
結局、母親の気まぐれなのか、母親も同意できなかったのか、思っていたのと違ったのか、受験だかなんだかで通わなくて良くなりました。
金銭的な授受があったのかも知りません。
今では何となくうやむやのまま、私の心の中だけのお話になっています。
私は未だに陶酔する宗教儀式が受け入れられない
子供が親に付き添って宗教的な活動に参加する事は、決して悪い事ではないと思います。
例えば、某女優さんが入信を表明されて話題になりました。
彼女はご両親が信者だった宗教法人へ入信された訳ですから、考えてみればお仕事やプライベートで辛い不本意な事が続いた場合、両親の愛と保護を求めるような気持ちで、その宗教に入信されたであろうことは想像に難くない事です。
(ただ事務所の契約違反になる様な行動は、認められないでしょうね)
食事の前に感謝をささげる宗教文化に、その家族の素晴らしさと暖かさを感じます。
ですが子供が恐れおののくような活動を強制したり、まるで見えているかのような言動で霊的な存在を押し付けたり、恐怖や不安をあおる様な訓示を掲げたり、そういう類の宗教活動に、はっきり疑問を呈したいのです。
私はトラウマと言って良いのか分かりませんが、お払いと称して1歳のお子さんが亡くなられた事件を耳にして、心底腹が立つのです。
子供をなんだと思っているのか!
私が死んだら・・・
まだ生きる気満々ですけれど、私なりの希望を考えます。
お嫁にきたのですから、おっと~家族の宗教的な儀式は参加します。否定もしません。
ただ私は自分が死んでも、葬式で宗教的な儀式はしてもらいたくない。家族と友人だけでお別れ会をしていただくだけで十分。
おっと~と同じ場所に納骨して下さい。
同じ所なら、大きなお墓はいりません。
息子や娘はお好きにどうぞ~。
必要と認められる金銭(もし納骨などでお寺の方が派遣された場合は、そのお手数料として等)以外は、お支払いを致しません。
名前も本名のママで結構。
位牌じゃなくて写真にして下さい。Photoshopで美人に加工しても良いからね(笑)
などなど・・・
こういう考え方の方はいらっしゃるのでしょうかね?親戚ともめるかな?
お若い方は考えたこともないでしょう。
様々なご意見も聞いてみたいような気がします。
長々と失礼しました。
お読みいただいてありがとうございます。