母親が子供に植え付ける罪悪感 私も同じ思いで苦しみます。
息子が帰ってきたど~
正月以来 息子が帰ってきたど~
でも 友達と すぐ出かけて行ったど~
おっと~家族から頂いた
お誕生日や就職祝いのプレゼントが
いっぱいあるど~!
親からのお祝い袋(現金)も
そのまま 置いてあるど~!
へ~でも 彼女がくれた 時計の誕生日プレゼントは
大切そうに 腕で光っとるど~!
ほいで、もう今から帰ると 言よるど~!
晩飯も食っとらんで~!
母ちゃんと えっと 話もしとらんで~!
こんな もんじゃろか?
こんな もんじゃて!
皆さま イラストはネタよ。
肩コリの息子が 描いてみたかったんよ。
おほほほほ~!
前回のお話
前回、私の母親の「痛い話」を愚痴りました。
それで沢山の方々から、同じような経験やアドバイスを頂きました。
特にお年寄りになってから愚痴が増えたり、一方的に長話をされたり、それから母と同様に「痛い話がとまらない」→愁訴が止まらない「心の痛み」を抱えてしまったご老人の話を読ませて頂きました。
私は 俄然 元気になってしまいました!
私と 同じ 経験の方が
意外にも 沢山いらっしゃる!
親孝行神話(かこ語です)
日本は未だにこの「親孝行神話」が主流です。
「子供ハ 親ニ 逆ラウ事 ナカレ」とか
「親ヲ 大切ニシ 真心ヲ 持ッテ 良ク 尽クシナサレ」
などという考え方は、「儒教」による思考、信仰の体系によるもので、勘弁してくださいと言う程、長い歴史と講釈がございます。
Wikipediaですら読むのがイヤになるくらい長いので、「孝」に限って申し上げると、日本では明治維新後 「教育勅語渙発」等により皇室、国家、親への崇敬が公的に浸透されたそうです。
(教育勅語って、あの なんやら池さんが 幼稚園で暗記させておった あれです。教育勅語が時代錯誤なのは、親だけでなく国家や皇室などの国粋主義が入るからです)
儒教自体が、東アジア全体に強い影響力を持つ宗教の様なもので、西洋ではどのような歴史があるかは調べていませんが、キリスト教やユダヤ教でも同様の「孝愛」は貴ばれます。
ただ日本では、宗教としてより学問的に受容されていて、「生活の規範」=「生き方の基本」の指標になっています。
結局は「子供が自身の親 に忠実に従うことを示す道徳概念」でありますから、どの国へ行っても「おしん」は高視聴率を獲得するわけですね。
「孝行」は否定していません
私はもう半世紀以上生きてますから、過去「年老いた両親が大嫌い」と公言すると、結構な方々がドン引きされます。時には「そんなことを言うもんじゃない!」「いい年をして親が許せないなんて!」と怒られます。
田舎の町内会で、上記発言をすると、恐らく村八分でしょうか?
親孝行の友達の前で、うっかり言いそうになって、ベロをしまいました。
しかしブログと言う手段を択ばせて頂いて、申し上げたいのは、
「親孝行なんて馬鹿らしい」と言っているのではないのです。
「親が悪い」から「孝行をしたくない」と申し上げておるのです。
その辺のとこ、お分かりいただけます?
私の大好きなブログで、毎日コメントを書かせて頂いているチャーコさんが大切にされているおママ様とおジジ様。
アルツハイマーのお母様の貼り絵と、その日常を紹介しています。
その言葉のやり取りの温かさ!心が伝わります。
それから我がおっと~のお母さん(義母)
こんな素敵なお母様に 育てられたら 命の限り 孝行しますよ!
そんくらいの 根性持っとらぁ!
道徳観も 正義感も 愛も 知っとるわ!
罪悪感を植え付ける母親
ここで「そんなにイヤなら縁を切りゃぁ良いじゃん」と思われた方。
男性じゃないですか?ww
先日 精神科医の斎藤環さんの著書「母と娘はなぜこじれるのか」という本を読みました。対談形式で 母親と不仲から名作を生み出された、漫画家の萩尾望都さんや田房永子さん、作家の角田光代さんなどが経験を述べられています。
その中で私が注目したいのは
どの方も母親に対して罪悪感を抱かれているという事。
そして それは「永遠に闘う事」だとおっしゃいます。
何故でしょう?
簡単に要約すると
「母親を否定すること」は
「罪悪感に繋がり」「自分を否定する事」
になるからだと言います。
私の例で言うと、母は自然食主義、今でいうマクロビオティックに近い主義主張がありました。それ自体は良い事ですが、脅迫的にドレッシングもマヨネーズも「冷凍 即席 レトルト」など 総て敵のような時期がありました。
お陰様で私は、遠足のお菓子ですら「罪悪感や添加物の恐怖」に怯えました。
母が恐ろしくて赤いウインナーを食べてみたいなんて、口が裂けても言えません。
初めて内緒で食べた時の 罪悪感を覚えています。
また母は、お弁当に既製品を入れると「身体に悪くて食べてはいけない」くらいの勢いでしたから、私もそれに従い、結婚後も朝5時から料理をして自分で自分を追い詰めていました。
このように
母を否定する事→
裏切る事 内緒で行うこと→
罪悪感となる→
今まで一生懸命に弁当を作って、赤いウインナーを食べないで生きてきた自分自身を否定する事になる という流れです。
著書での例は「母親が勝手に決めた学校に入学した」→「でも結果的には友達も出来て楽しかった」→「母に感謝しなくてはいけないと苦しむ」
母親は「あなたの為」以外何ものでもないと子供に教え込み→その望みを叶えてあげられない罪悪感・・・等々
それに比較すると男の子は、成長して母親と同じように結婚 出産 育児に家事にという様な人生路をたどる方は、殆ど居ません。
少なくとも出産は出来ませんから。
むしろ男性の場合は、社会的立場を重視する父親との衝突が取り上げられます。
女性の場合は、父親が不在の意識が強く、居たとしても反抗の対象で、相手にしていません。どうしても 母親VS娘 の構図が出来上がるそうです。
最終的には生命まで行きつく
上記は、ありふれた(?)家庭の例ですが、余りに否定的な呪縛を体験された方(暴言や暴力)の場合でも、行きつくところは「命を頂いた」と掘り下げて、自分の出産時や子供を授かった時に 罪悪感を抱くそうです。
オムツ交換の度に 罪悪感に苛まれる訳です。
それだけ子供の人生に 呪縛を与える力が、親にはあるという事です。
男女ともに共通するのは、呪縛に気付き関りを断つか、そのまま共依存の様に独立できずに関係を続けるか、選択肢が非常に限られます。
自暴自棄になって自殺と言う様な手段を選ぶ方がいても、「親殺し」が難しい理由は、その呪縛にあります。
良い親とは?私の意見
私は数年前から聞かれる「毒親」は余り考えません。
暴力や依存症など劣悪で限られた環境は別として、少なからず 親が子供をコントロールしたり、希望を託したり、愚痴を言ったり、多少の卑下はあるものです。
ただ本当に良い親は、子供の問題に対して「どのように解決していくか、その道程をいっしょに模索」すれば良いのですよね。
共に考え、子供から結論を引き出せる様に、親がお手伝いをすれば良いだけです。
親が悪い時は素直に謝り、怒った後のホローをすれば、それで良し。
簡単単純に、生きていることを褒めてあげれば、もう終わり!
後はベロベロに可愛がって、見て見ぬ振りも 時々してあげて、強制しなければ大丈夫じゃないかなぁ・・・
私は、ただ娘に同じ思いをさせない様に、試行錯誤の毎日です。
私は母親とは2年、父親とは4年断交していましたが、それを解くと、また罪悪感できりきりですわ。。゚(゚´Д`゚)゚。
痛い母をほっておく娘と、哀れな母の構図。
でも皆さまのコメントで救われています。
ありがとうございます!
ちなみに断交の間、母や父の友人からよくお手紙が届きました。
私は顔も覚えていない方々です。
「私の祈りが届きません」と書いてありました。
「最高のご家庭にこんな不幸が・・」と書いてあり、何を知っとるのだと反感を抱きます。どんな手を使っても 私を取り戻したかったのでしょうね。
ほとほと 疲れます。
長くなりました。
次回、ちょっと「母性本能神話」について記そうかな~
歴史が浅く、男性社会が作り出した幻想です。
では、また来週(@^^)/~~~
読んで下さって ありがとうございます。