病人と信仰心 信じる者はすべて救われるのか?!
話が病気のことと少し離れるかもしれません。
我が家にご年配の女性が訪ねて来られました。
道路から真っすぐ我が家の庭先に車を停められたので、必ず我が家に用事のある方と思い、ためらいなく玄関を開けました。
(我が家はぐるりと一周、田んぼに囲まれているので見晴らし抜群です)
綺麗におしゃれで小柄な可愛らしい女性は、明るくしっかり自己紹介をされ、「同じ町内の・・さんにかこさん(苗字)の事を聞きました」とお話しされます。
私にはその・・さんに覚えはありませんが、田舎の町内のこと、私の病気は知れるところなのでしょう。
病状を聞かれたり、ご自分の事を話された後、沢山のパンフレットや小冊子を渡されての宗教活動?宗教宣伝?布教活動?が始まりました。
(スイマセン。活動の正式名称が分かりません)
私は宗教を信じ語られることや布教、宗教的な福祉活動に否定的ではありません。
寄付やお布施に関しても、程度は重要ですが、法人や団体の運営費と思えば納得しますし、お礼の意味を込めるのも良いと思っています。
国によっては文化的習慣でもあり、ネットで寄付を募ると聞きます。
私も、特に日本人らしく(?)様々な宗教行事をイベントにしたり、奇跡や神にすがる心境は理解するどころか、実行している一人でもあります。
新年の初参りから、クリスマスまで目白押し。。。
息子のセンター試験の時は、寝たきりなのにベットに座って、息子の写真と合格を祈りましたもん。(何に祈っているのだか。。。???)
ちょっと大げさなイラストですが、
この気持ち、ご理解いただける方も多いと思います。
また宗教に基づく倫理観も、ひねくれて聞くと余りに正論過ぎると感じる時もありますが、心がけることはご立派ですね、と申し上げます。
それでご自分が崇高な精神に近づけるのなら。。。と、それこそ自由信仰でよろしいかと思います。
しかしご自分以外の方に布教することが
どなたにも徳になると説くのはどうかと思うのです。
活動をされている方が全て同じとは言いませんが、どうも周りが見えず、病人だからなお知って頂きたいと駆るのは、自己満足と自己中心的な思考だと感じるのは、私の言いすぎでしょうか?
可愛らしいその女性は、昨日も今日も訪問されました。
「運命的な素晴らしいご縁があってここに導かれたようです。
中略
あなたが私のオアシスであると感じました。」
とおっしゃるのです。
パンフレットは受け取らず、はっきりお断り申し上げましたが、
お友達になってほしいというその女性は
お話好きなおばあちゃまであるのなら、お相手差し上げますけど
またいらっしゃるのでしょうねぇ。。。