かあさん ちょいちょい がん患者

食道がんと咽頭がんと肺がんのお母さんと、家族と育児の闘病生活をイラスト日記にしました

「生きていてくれてありがとう」と自分や家族に思えるようになった話です。

赤ちゃんを出産した時や幼子の無邪気な様子を見るに、きっと生命の神秘に感動し、誰もが無事に産まれて来てくれてありがとう、と思うはずです。

 

大きな災害や事件事故の被害があった時、大切な家族や友人の無事が確認されると、心から生きていてくれた事に安堵し、感謝し、それこそ歓天喜地の至境に達すると思います。

 敬老の日には長老の方々に祝意を述べながら、よくぞ長生きしてくれましたと感謝する日本の文化を誇りに思います。

 

ところがいつの間にか

生きていてくれて

産まれて来てくれて

無事でいてくれて ありがとう!

の気持ちは何となくどこかに行っちゃって

〇〇してほしいとか

▲▲した方が良いとか

ひどい時には

✖✖するべき!✖✖しなさい!

すっかり命令口調にまでなってしまうのは、どうしてなんでしょう。。。

 

「生きていてくれてありがとう」なんて実感がありません

私も30代で二人の子供を産んで、そりゃぁ可愛く愛おしく思いました。

「もう生きてくれるだけでありがたい」とか「無事に生きていてくれりゃぁ、もう何もいらないわ~」と思う日々もありました。

それなのに歩き回る頃から「あれしろ、これしろ、これやるな」の会話が始まり、口答えに上塗りをして、親の価値観を植え付け始めました。

 

おっと~に対してなんか、結婚した時くらいは「結婚してくれてありがとう!傍にいてくれるだけでいいのよ~」と思っていた様な気がしますが、時間と共に、労働力や思いやりの気持ちを強要したりして、そりゃぁ可哀想。。。

ケンカでもした日にゃぁ、白いご飯に梅干しだけ弁当、ずぶずぶのぶっかけ味噌汁弁当と、そりゃぁ可哀想。。。

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        我が家の罰弁当

 

自分自身に対しても「生きているだけで素晴らしい」とは思えない

私の親の話ですが、そりゃぁ私の人生に口出しが止められず、幾つになっても無料愚痴吐き箱の私は、いったい何のために生きているのか分からなくなる経験をしました。

 

「〇〇したら」「▲▲だったら」良いと、条件付きの愛情ばかりで、そのままを受け入れてもらった記憶がありません。

親の言う通りを生きる事が「自慢の娘」となるべく道でした。

(お陰で親の意に反した癌発症と障がい者になったこの3年間、親は私に会う事はありません)

 

結果的にゆがんだ愛情だったにもかかわらず、親自身は全く気が付かず非難ばかりで、私は自己肯定力が養われませんでした。

 

癌を経験して「生きていることが最高の自己肯定だ」と知りました。

48歳で人生が変わりました。

半端ない病との闘いを経験し、三カ所の癌で20時間の大手術をしました。

後遺症が残り、重度障がい者になりました。

 

すると不思議に「私は生きているだけでも凄い事をしているんだ」と自分を褒める気持ちになりました。

「生きていることに感謝する」気持ちに気が付いたとでもいうのでしょうか?

自分に「生きる価値がある」と思えるようになったというのでしょうか?

 

働くことも動くことも普通に出来ないのに、私は自己肯定感を持ってしまいました。

出来なくても良いんだと思えるようになりました。

 

おっと~も子供達も、私の闘いを見ています。私に対して

「もう生きてくれるだけでありがたい」とか「無事に生きていてくれりゃぁ、もう何もいらないわ~」と思ってくれました。

私はご機嫌でここに居れば、それで良いのです。

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私もおっと~や子供達に対して「もう生きてくれるだけでありがたい」とか「無事に生きていてくれりゃぁ、もう何もいらないわ~」と思える様になりました。

 

もちろん道徳観や知識の豊富さなど、人間性と魅力を養うのに必要なものは身につけた方が良いでしょう。ですがそれは、強要されるものではありません。

家族がそこに居て、ご機嫌でいてくれるだけで、それで十分なのです。

 

 

娘の30点の算数のテストを見ながら思いました(笑)

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