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かあさん ちょいちょい がん患者 闘病と家族のイラスト日記

食道がんと咽頭がんと肺がんのお母さんと、家族と育児の闘病生活をイラスト日記にしました

4年と半年ぶりに 認知症の父に会う

仏大統領にマクロン氏が当選したと、トップニュースで放送されています。

 

「39歳の若さで、世界中に報道されるような選挙に勝ってから、ウチなら びびって よう寝んわぁ」

朝から弁当を作りながら、このオバサンが言うと、おっと~が

「人には向き不向き、得意不得意があって、この人はこれが得意なんよ。絵を描いたり想像力でもって表現することは出来んかもしれんよ」

と言う。納得する。

 

中学生プロ棋士 藤井聡太四段がインタビューで、「不得意な科目は美術」と答えていました。理由は「芸術的なイメージがわかないから」とか「答えがはっきりしないから」だそうです。

 

「やっぱりなぁ~!ウチなんか、なんでもイメージで考える訓練を受けてきたようなもんじゃけぇ、そりゃフランス大統領や中学生棋士には出来んかもなぁ~」

コーヒー飲みながらこのオバサンがちょっと偉そうに言うと、おっと~が

 

「そりゃ、かこちゃんは(政治も将棋も)一手先も読めんじゃろ~」

と言う。納得する。

 

朝の夫婦の会話である。ちなみに私は今でもおっと~から下の名前の「ちゃん」付けで呼ばれておる。(ФωФ)フフフ・・・

 

父の住む施設の様子

父の終の棲家になると聞かされた施設は、豪華マンションの様な佇まいでした。

町の中心部に近い場所で、交通の便は良く、駐車場も確保されていて、一見申しぶんなさそう・・・というより、いったいひと月にいくら掛かるんだろうと、無粋で現実的な考えが浮かびました。

(金銭的な事は総て母と兄が管理していて、私の負担はありません。それが恵まれているというのなら、少々異議申し立てを行いたいものですが、今日はスルーしておこう)

 

1Fは広い広いロビーだけで、入居者の方のお習字や折り紙などの作品展がありました。よく行われるのか、イベントなどの写真も貼ってあります。

父親の作品も写真もありませんでした。

(恐らく母親の世間体から、公表を拒否しているのでしょう)

 

職員の方に受付をして頂き、手を消毒し、私にとっては意味のない口のマスクをしてから施設内に入ります。

お昼過ぎに行ったのですが、院内は静まり返って寂しさを感じる位でした。

 

エレベータを降りてすぐに職員の方が声をかけて下さって、名前を告げると父の部屋へ案内されました。同じ階に同居の方々は、父と同じ病気の人ばかりです。

中央に食事や雑談、テレビなどが観覧できる広いスペースがあり、その周囲が各個室に分かれているようでした。

ここにもイベント写真や作品など、正直に申し上げて、保育園の様でした。

 

部屋のドアは横にスライド式の、病院などでよく見られる重い造りと同じですが、完全に閉まらないように、何かの入っているバケツで留められています。

お隣の方のお部屋も見えました。綺麗なレース飾りが見えました。

 

部屋の広さは6畳くらいでしょうか。

入り口横にすぐ洗面台と、本来ならトイレとして設置されたであろう1畳ほどのスペースは、便器の前に車いすが置かれ、山ほどの紙おむつで埋まっています。

 

壁は真っ白、カーテンも真っ白、洗面台もトイレも、総て真っ白・・・

そこに父は寝ていました。

 

4年ぶりの父親

先の夫婦の会話通り、私はイメージを漫画やイラストにしてみます。

このイラストで、どのようなイメージが伝わるでしょう。

 

 

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床にゴツンと無造作に置かれたラジオから、大きな大きな音で、誰かが何かを一方的に喋っていました。

真っ白い壁には、孫が(兄の娘)描いた鉛筆のイラストやメッセージが雑に貼られ、カレンダーと誰かの教訓が引っかかっていました。

 

絵描きだった父親の 全く色の無い部屋

父親の赤いパジャマだけが目に映る

どうしてなにも飾ってあげないの?

 

生活感も 現実感も 感情も

生きている実感もない部屋で

父は、目を開けて、眠っていました。

私とは反対の方向に顔を向けて

目玉を動かすこともなく

じっと、どこかを見ていました。

 

おっと~が大きな声で、私たちの名前を叫び、ここにいる事を伝えました。

娘も耳元で大声で話しました。

 

「ご飯は美味しい?」

「おいしいよ」

「ご飯は食べらりょうるん?」

「食べようるよ」

 

これだけが、4年半年ぶりに聞く、父親の声でした。

 

本人しか分からない

例えば病気になった時、同じような症状を持つ方の経験談を参考にしてみる。

同じお薬を飲む方に、ご意見を伺う。

手術を受けるのなら、その術後の様子を聞いてみる。

 

重度の自閉症である東田直樹さんが「自閉症の僕が跳びはねる理由」という本を出版されて、同じ症状のお子さんを持つ親御さんには、画期的な参考になったと聞いたことがあります。

 

若年性アルツハイマーなどの経験を自叙伝にされたり、その介護を担う方々がその経験を文章や映像にしてくださる。

関口祐加監督の「毎日がアルツハイマー有吉佐和子さん「恍惚の人モブ・ノリオさんの「介護入門」などなど・・・

 

だけど 認知症が進行した本人が

何を考えているのか?

瞳や耳に 何が届いているのか?

何を思って生きているのか?

どこまで心に響いているのか?

 

私は参考にする本も映像も知らないから

本人の話を聞くことが出来ないから

わからない

 

許すとか 許さないとか

それ以前の問題だった

私の人生に大きすぎる影響を与え続けた父親は、確かにそこに横たわっている人ではあったけれど、もはやその人じゃなかった。

 

私は取り残された、ただの人

薬で朦朧としていただけかもしれん。いつもはシャキッとしとるんじゃろうか?

父親はどんな気持ちで、毎日を生活しとるんじゃろうか?

 

確かに生きとるわなぁ。呼吸はしとる。

 

父親が一番恐れとったんは、こんな姿になる事じゃなかったんかなぁ?

それで、こんな姿になる覚悟が出来んかったから、私に会えんかったんじゃろうか?

イヤ、こんな姿になるとは、思わんかったんかも知れんなぁ。

なると分かっとったら、子供にだけは、分かる内に会いたいもんじゃなかろうか?

親とはそう言うもんじゃろう。

 

でも そんなこと もう どうでもええわ。

今更、遅いわ。

人生で最後の、良きも悪きも心に残る年月を、一緒に過ごす気がなかったんじゃけぇ、私には関係ないわ。

言いたい事は山ほどあったのに、もうどうにもならんでなぁ。

 

部屋を飾ってあげる人もなく、自分で描いた作品に囲まれることもなく、無機質な布団とオムツと車いすと、そんな人生の終末を迎えるのも、父親の人生なんじゃろう。

 

私は 父親にとって ただの知らん人じゃなぁ。

癌患者の4年間は 長かったで

お父さん

 

父親の耳

父親が私と反対方向を向いて動かないので、ぼんやりとその顔を見て、ぼんやりと考え事をしていました。ギャンギャン流れるラジオの音は、全く頭に入ってこない。

 

娘も退屈そうに 天井を見つめている。

(小2の正月以来、殆ど会っていないおじいちゃんを、大切に思えという方が無理があろう。部屋に入って殆ど喋らず、娘は無表情のままだった)

おっと~は私を気遣っている。

 

その時ふと、思い出しました。

父は大層な福耳で、それが自慢の一つだった。

幼いころ、その耳に触らせてもらうと、柔らかい感覚が大好きだった。

 

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涙が出てしょうがない。

いつか行く道。

徳のある人生を生きたいと 心に刻んだ。

 

 

長くてまとまりもない私の個人的な話を読んで下さり

本当に、心から感謝します。

スイマセンでした。 

 

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