親との確執を真剣に考えた4年間でした。
昨日おっと~にブログを読んでもらいました。
「随分穏やかに書いてある」と言われました。私の一番身近にいるおっと~は、親と私の確執を一番よく知っています。私の怒りや悲しみを見てきました。
私は自分の親に批判的な言葉が、周囲の人には余り受け入れられないと知っています。
事情を知らない方に話す内容でないと知っています。
不快に思われた方がいらっしゃったら、心から謝ります。
友人が「百万回生きた猫」の作者、佐野洋子さんの「シズコさん」というエッセイを読んでみたら。。。と勧めてくれました。
親との確執を抱えた佐野さんが、母親の認知症をきっかけに和解に至る心境が綴られていました。周囲が佐野さんに向ける厳しい目も記されています。
同じ様な心境に至らない私は、ため息ばかりです。
悪いのは病気ではない
父親が私との接触を拒否し、母親の投げやりな態度と不満が私に向けられ、背負わされるダメージに耐えきれなくなった頃、私はようやく「病気が原因でこじれたのではない」と気が付きました。
認知症は人によって、人格が豹変する症状があると知りました。
ヒステリックに怒ったり、非道徳的な行動を取ったり、頑固で融通が利かなくなったり、脳のどの部分が影響するかで違ってくるそうです。
父親の私に対する否定は、認知症と関係があるかは分かりません。
うつ病には様々な症状や種類があり、自責の念に苦しんだり、責任感から悲観的な考えにとらわれる等、決して風邪ごときの苦しみでないと知りました。
母親の永遠と続く不満がうつ病と関係があるとは思えず、私はただの愚痴吐き箱です。
少なくとも両親は、癌と障がいを抱えた私と、共に生きようとする意識なり共感なり姿勢が持てなくなったのです。不自然な治療を薦めても、私と共に闘ってくれようとはしなかったのです。
私もいい加減な大人だった
私の身体が健康な時は笑って許せただろうかと、今でも自問自答しています。
特に私の手術前後から、様々な問題が表面化してきました。
例えば3年程前、叔母と従妹が亡くなりました。
従妹はまだ30代、幼い子供が残されました。
私はお葬式どころか、半年くらい経ってから事後報告を受けました。
家族の集いでも、親しかった親族とのお別れ会すら出席させてもらえない。
私が病気ならば、おっと~に出席をお願いするとか、せめて知らせてくれるとか、それは少なくとも人間の感じる思いやりではないのでしょうか?
しかし病気で始まった事ではありません。
今まで私は、怒るべきところで、しっかり怒ってこなかったのです。
否定するべきところで、私はしっかり否定してこなかったのです。
何となくやり過ごして、それが親孝行だと勘違いしていました。
親と私の距離
私と親に確執があったところで、今の私には関係ない事は分かっています。
むしろどれだけ恩着せがましく言われようと、しっかり大学まで教育を受けさせてもらいました。家族の困窮を経験することなく、社会的な問題はありません。
夫婦間で嫁姑で、秘められた争いに目を向けなければ、むしろ対外的には立派な親で、社会での地位もありました。
間違いなく、幼い時は幸せな時を感じさせてもらいました。
私の性格も非常に前向きにできています。単純なほど陰湿な考えには至りません。
優柔不断がなく、どちらかというと男性的とさえ言われる決断力には自信があります。
声帯を迷いなく切除したくらいですから。
(ちょっと自分を褒めすぎか???馬鹿かな???)
親の責任はありませんし、恨んでもいません。
ただ私の病気で親との距離が遠ざかったように感じていましたが、4年経ってようやく分かったことは、「最初から同じ位置にいた」という事です。
会う会わないに関わらず、精神的には私を救ってくれる存在ではありませんでした。
私も親を救う義務はありません。
それに気が付くのが遅すぎました。
明日父親に会ってきます
母親からまた手紙が届くようになりました。
実兄や叔父叔母が説得にやってきました。
母親は歯が痛い、肩が痛い、一人で寂しい、そうです。
実兄と私は、子供として責任をもって相談し合い、親の介護や金銭的な話もまとまっています。私の体力や兄夫婦の仕事から、実質の介護はプロの方にお願いしていますが、何かあればおっと~も兄嫁さんも協力してくれます。
この先、親と私の関りが増えようが減ろうが変わらずとも、親と私の距離が変わるほどの期待はしていません。親の不幸や歯の痛みに私は関係ないと割り切って、明日は冷静に状況を把握して来るだけだと思っています。
また報告。。。しない方が良いかしら?
文章にすることで少し落ち着きました。
私の話にお付き合い下さり、本当にありがとうございました。