かあさん ちょいちょい がん患者

食道がんと咽頭がんと肺がんのお母さんと、家族と育児の闘病生活をイラスト日記にしました

老人性のうつ病?認知症の初期段階?人を傷つけるのは病気のせい?

今日で私のブログは3か月目に突入しましたヽ(^o^)丿

僅かな期間で、こんなに沢山の温かい出会いがあるなんて思ってもいなかったので、もう感謝ばかりです。

 

せっかくの3か月目ですが、ちょっと覚悟を決めて、私にとって大切な事を記そうと思います。

 

涙で記せないブログの話題

私のブログは、私の闘病と家族がメインです。

この3年間は家族が私の中心で、本当に大切に思い、愛しみ、そして感謝の気持ちでお互いに助け合い、励ましてもらいながら生きてきました。

このブログの話題は本当の事ばかりです。おっと~は照れるけれど、私は誰が読んだって本当だからいいもんね~と文章にしています。

 

しかしどうしても途中で記せなくなる話題が二つあります。

ひとつは、私が癌だと、声が出なくなると告知した時の息子です。

当時高校3年生、娘と違って半分大人の思春期でした。

 

先日のお話会では少し話題にしました。

息子が泣いているイラストも描いてみました。

 

しかし簡単ではありません。とても顔が描けません。

おっと~も泣きました。私は途中で話せなくなりました。

 

大学受験という人生の大切な時に、母親が癌だと、声を失うと聞かされた息子の、身体が裂けるような悲しみと不安と、きっと感じたであろう無力感や絶望を、私はまだ文章に出来ません。

 

大学三年になった息子の、思ったよりしっかりとした考え方と、充実した明るい笑顔と、ちょっと生意気な喋り方と、何度送っても無視されるメールに、私は心から安堵して、感謝して、邪魔をせぬように支えていける様にと思っています。

 

怒りで記せないブログの話題 実の両親

私の両親はまだ健在です。

しかし父親とは4年間会っていません。

母親とも3年近く会っていません。

 

正確に言うと「会っていない」のではなく「会わない」のです。

 

どんな両親だったかは、昭和の親ですから今では考えられないのでしょうけれど、娘の人生は両親が操るものだと考えていたと思います。

私はいつも親不孝という罪悪感と戦っていました。

 

ごく最近、実兄が「母親は押しが強い」と言うのを聞いて、私は愕然としました。

押し??そんな簡単な言葉なんだ。。。

私にとっては「強制」「無理強い」「 強要 」「束縛」「強迫」。。。

 

その両親の意志に反した「私の癌と障がい」は、両親にとって、どのように受け止められたのでしょう?

 

父親は「かことは会えない、会うと自分が落ち込むから」と、話題にすることも極端に嫌がったと、叔父から聞きました。

 

母親はその父親の不満を手紙にびっしりFAXでもメールでも、抗がん剤に苦しむ私に訴えました。(電話に出れない事を感謝した)

 

www.hachidori-world.net

上記のブログをお借りしましたが、見事なまでに当てはまる、何やらを飲めと送ってきたり(おっと~が代りに飲んだが変化なし)何やら高い器具を買おうとしたり、自分の医者に連れて行こうとしたり。。。

 

実兄は、老人性のうつ病か、認知症の初期段階だろうと言いました。

 

確かにこの2年で父親は認知が進んだらしく、薬の影響なのでしょうか?

今は呼び掛けに応える程度だそうです。(施設に居ます)

母親も認知症の介護で大変だったのは理解しますが、孫のかこ娘が会いに行くのも拒否していました。

 

私は必死でうつ病認知症の本を読みました。

認知症かどうかも分からない初期にです。

どの本にも「子供や孫にも会えない」親になるとは書いていません。

「病気に苦しむ子供を無視するような言動が見られる」とは書いていません。

「自分の価値観を押し付ける」とは書いていません。

 

私が何をしたと言うのだ!

病気になった事まで責められるのか?

うつ病って、認知症って、こんな病気なの?

これが親心と言うのだろうか?

 

どうしても理解が出来ないのです。

50歳を過ぎたいい大人が、みっともないでしょうか?

 

実兄は本当に良くしてくれて、親孝行で、良き父で、頼りになります。

両親の事はこの数年間、実兄に任せっぱなしでも安心していられます。

 

明後日の土曜日に、おっと~と娘と三人で、父親に会いに行く事になっています。

事情は明日記そうかなと思います。

母親に会わないように、実兄に手配をお願いしました。

 

悩みで頭を抱えていますよ。

長くなってスイマセン!!読んでいただいてありがとうございます。

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