声に出せない心の痛みを、周りの大人たちはどうして「聞いてやろう」としないんだ!気が付かなかったで済まされるか!
毎日まいにち、いじめのニュースが届かない日はありません。
自殺や登校拒否に追い詰められた被害者の、絞るような声を知る度に、遺書やSNSを読む度に、いつも同じ疑問を抱きます。
同じ事を繰り返している周囲の馬鹿な大人たちへ
いじめがあった学校は、教員達は、いったい何をしていたんだ?
加害者の親は、何をしていたんだ?
周囲の大人たちは何をしていたんだ?
被害者が、ただ「声に出す」のを待っていただけ?
助けてくれって言わないから分からない?
声にならない心の痛みがあるのを知らないの?
気が付かなかったんじゃない!
気が付こうとしていなかっただけだ!
いったい毎日、何をみていたのだ?
私も被害者も「声に出して言えない」のだ
私は失声障がい者(音声機能そう失者)で、発声出来ない。唸り声も出せない。
食道癌や下咽頭癌、それに伴う胃の再建手術と小腸移植など、消化器官に重大な疾病を抱えている。
だから、ともすれば激痛を伴う下痢や、食物があふれかえる嘔吐に見舞われる。
ところが、どんなに痛かろうが、苦しかろうが、私は声に出してそれを訴えることが出来ない。痛いと訴える術が、機能が失われているのだから。
「痛いいたい」と言えたら、「苦しいから助けてくれ」と声に出して言えたら、どんなに救われただろうと思う。
文字を書いたり、苦痛を表現できる手段があるなら、まだましだ。
抗がん剤で40度を超える熱を出した。
意識がもうろうとして、何をどう伝えたらよいのかも分からなくなる。
トイレにこもり、冷や汗と涙で全身が震えるような痛みに襲われている。備え付けのボタンを押そうにも、硬く握られたこぶしが開かない。
仮に押せたとしても、私は呼びかけに応えられないのだ。
被害に会った子供たちと同じだ。
毎日強要されるいじめに、心が痛みで苦しんでいる。
ひどすぎると心の痛みがマヒを起こし、何をどう伝えていいのかすら分からなくなっている。
声に出して「心が痛い」と言えたら、「助けてくれ、やめてくれ」と声に出して言えたら、どんなに救われただろうと思う。
痛くて痛くて張り裂けそうな苦しみを抱えているのに、それを声に出す術を知らないのだ。それをどうしてわかってやらない!
幸いにも私の周囲には、馬鹿な大人はいなかった
もし私が、トイレの個室で、下痢の痛みと熱に苦しんでいるのに、誰も気が付いてもらえなかったら?「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれなかったら?
長時間、声も音もしないんだからと、ほっとかれたら?
簡単に想像できる地獄図絵が待っている。
幸いなことに、私の周囲の大人たちは、私の苦痛にゆがんだ顔を毎日きちんと観察して下さった。声に出さなくても、症状を察知してくれる方がいた。
トイレをノックして、プライベートを考慮しながら耳と目を向けてくださる方がいた。
言っておくが一人じゃない。チームを組んで助けてくれた。
医者も看護師もソーシャルワーカー等、命のプロフェッショナルと、そして家族だ。
それがどうだろう?
学校は?教員たちは?学年担任達は?家族は?チームじゃないのか?
子供を観察し、心の痛みを察知し、「大丈夫か?」と声を掛けるのが、家族や学校の仕事じゃないのか?命にかかわる仕事をしているのが分かっているのか?
チームの連携も取れず、担任まかせで見てみぬふりじゃないか?
何が教育委員会だ!何様だ?
簡単に扉を開けさせて、心の痛みが分かるなんて大間違いだ!
私は恥も外聞もなくなり、痛みと熱に耐えかねて、例えトイレの扉でも開けて助けを待った。もうどうしょうもないと自覚したから、恥ずかしいなどと言っていられない。
トイレの床に倒れて扉を開けた。
しかし、いじめに関係するような子供は、まだほんの子供かも知れない。
嘘や暴言の限度が分からず保身に必死だ。思春期に差し掛かったような年齢になると、簡単には心の扉を開けてくれない。
ちょっと「大丈夫か?」とノックしたくらいで、簡単に扉を開けさせようなんて調子が良すぎる。ほんの数分観察したくらいで、心が分かるものか!
だから学校は「ふざけただけ」とか「継続的ではない」などど言い訳をするんだ。
家族で会話がなかったと言うんだ。
毎日、チームの誰かがちゃんと子供たちを観察し、表情を読み取り、心の痛みを感じてやらないと、事例は治まらない。
尊命が第一だ!
声を出さないで、心の痛みを経験してみろ!
身体の苦痛の方が分かりやすけりゃ、声を出さないで痛みに耐えてみろ!
どれだけ苦しいか!
大人が分かってやらなくてどうするんだ!
今日は朝からニュースを見て、腹が煮えくり返っている。
ですます調も使えない。
イラストもなし無し!イラストが可哀想で描けない!