「私は癌患者です」と周囲に告知したら、「芸能人じゃあるまいし」いう言葉に意見します
昨日すっ転んだ打ち身がキターーーー!
右の肩から腰から痛いです!
痛いから、痛い方をかばって寝ていたら、今度は首を寝違えた~
おっと~が心配して、朝からメールが5回目ですけど
ええけん(いいから)仕事しなはれ!
時に見かける、心無い言葉
これは癌患者に限らす、病状が安定しない難病の方や精神疾患の方などに向けられる、理解不足と誹謗中傷に対して、私なりの考え方です。
ネットで見かけた一例です。
職場を癌でしばらく休職されたという方が、一通り治療を終えて復職されると、職場では「癌の治療費と保険でいくらもらったのか」という話題にうんざりした。。。
と訴えられたところ
「職場で必要以上に癌と告知する必要はない」という意見と共に
「職場で何を期待しているのか?」
タイトルの様に「芸能人じゃあるまいし、病気を公表して注目集めてどうする?」
という意見がチラホラ目につきました。
えてして酷評をされる方は、自分は一生病気にならない、病気になっても一人で大丈夫、仕事も家族にも迷惑かけないと思っているバカモノか、リップサービスが過ぎるか、ストレスを弱者に向ける方々と認識していますが、そればかりでは済まされない本音も伺えます。
病人自身も「そこのけそこのけ、病人が通る」ではいけない
最初に記しておこうと思いますが、私の話でいうと、私というたった一人の人間を助けて頂く為に、とても高額な医療費が国から支払われているという事実です。
余りに重症だったために、個室や特別食など、高額医療費の範囲内で収まるものではありませんでしたが、健康保険の範囲内である抗がん剤や手術費用などは、数百万の出費であろうと思います。
また以前にも記しましたが、私は三カ所の重複癌ですから、各器官の専門医師や特別職、看護師やソーシャルワーカーの方を含めると、100人以上のスペシャリストが尽力をいただきました。
その経費と労働力たるや、感謝では済まされない重みがあります。
つまり私には生きる責任があります。
もしかしたら病に負ける様なことがあるかもしれないけれど、死を考える前にしっかりと生へ向き合い、負けてはならぬと自分自身に言い聞かせる義務があると感じています。
強要するわけではありません。
しかし少なからず大病を患った方は、自分自身を生かして頂いたという責任を自覚し、
一緒になって病と闘ってくれるスペシャリストや家族、支援してくれる人々に対して、感謝と謙虚な気持ちを持って、病に向き合う必要があると思います。
自分一人ではどうにもならなかったのは事実なのですから。
しかし意識とは別に、病は襲ってくるのです
そうやって「意識高い系?」で病気に向き合っても、体の不調は訪れます。
私の食道癌ダンピングや下痢など、もう勘弁してくれよ~と泣こうが喚こうが、意識にお構いなしに襲うのですから、さっきまで元気な気分がもう萎えてしまします。
謙虚で感謝をもって、生に向き合っても「痛みや不調」がやってくるのです。
余命や成功率などをあっけらかんと語る医師もいますが、以前にも記した通り、言われた落胆を経験しました。血の気が引きます。
理解をしていただく為に告知をせざる負えない
痛みや苦しみは、自分自身で我慢するしかありません。ですから同じ経験をしてみろと言っているのではありません。
慰めてほしいとか特別扱いしてくれよ~と言っているのではありません。かまってチャンでもKYでもなく、注目なんかいりません。
静かに病と闘います。
ただ、理解をお願いしているのです。
身体が病を持っていて、意思とは別に不調があるのです。
芸能人の方が勇気を出して病気を告知されるのは、同じ病気と闘っておられる方に一緒に頑張りましょうとメッセージを送る為、ご家族の思いに共感する為、勇気と希望を送る為です。私達一般の人でも同じです。
どうかネット上などで氾濫する、理解不足と誹謗中傷が無くなりますように。。。
それとも心に響かない人には、言っても無駄なのでしょうか。
私の力では何にもならないけど、気持ちだけは前向きでいましょう。
長くなってスイマセン。