「私は癌です」と周囲に告げたとき。。。家族がどんな反応をしたか。。。娘編2
前回トトロの比較は大きな誤りでした。
トトロは2メートルだそうです。
スイマセン!
家族 娘編2 娘小学校3年生
私は娘の心の状態に全く気が付いていませんでした。
娘は当時、積極的とも消極的ともいえず、成績もちょうどバランスよく真ん中でした。殆ど問題も起こさず、ごく普通の手の掛からない子供と思っていました。
私たち夫婦は、特別何かを熱心に教育するという考えはなく、基本的な生活習慣も我が家なりに出来ていた様に思います。
受験生のお兄ちゃんに比べて、何の心配もなく、近くのおばぁば家に預かってもらったというのが経緯です。
徐々に娘はストレスを溜め込んでいました。
これからは私が術後で退院し、抗がん剤の副作用も抜けてきた頃に聞いた話です。
ばぁば家は、当時は健在だったおじぃじと義兄夫婦と4人で、姪と甥は社会人として独立していました。
お義兄さんは社交的で明るく、お義姉さんもベテラン兼業主婦で、義理人情に厚く明るいしっかり者で、とにかく頼りがいがあります。
その家族に世話をしてもらって、むしろ娘は我が家より良い環境で過ごさせてもらっている、という感覚でいた私は、話を聞いて驚きました。
学校から帰った途端に、手も洗わず勝手にお菓子を引っ張り出し食らいつく。
注意されても、逆ギレの暴言を繰り返し、取り付く島もない。
宿題や片付けなど、当たり前だったことに取り掛かることが出来ず、テレビを独占してリビングに居座り続ける。
こと食事に関して強い執着心があり、内容が気に入らないと残して別の物を食べようとする。
90歳を超える仙人おじぃじを、チャンネル争いで怒らせたり(おじぃじが怒るなんて!?) 87歳のおばぁばに「くそばばあ」まで言ったそうです。
小学3年生が思いつく限りの暴言だろうと思います。
私の前では本当に良い子でした。
お母さんが元気になったら。。。。をしたい!
おっと~と来てくれたお見舞いは
いつもニコニコで前向きでした。
私は気が付いてやれなかった!
母親が病気で入院し、命にかかわる長期入院です。
痩せて、髪や眉毛まで抜けて腕は点滴で真っ青です。
なんだか解らないけど、思ったよりも大変な病気だと、子供の目にも明らかでしょう。
良い子でいられる8歳児がいるでしょうか?
しっかり自己管理が出来て、大人にとって良い子でいられる子供がいるのでしょうか?
今頃、娘は私に言います。
あの時は、お母さんが死ぬなんて考えたこともなかった。だから痩せてしんどそうなお母さんを見ても、手術の日でも、ぐっすり眠った。
お母さんの事は考えないようにしていた。
私はおばぁばやおばちゃん(義姉)に優しくしてもらったけど、毎日毎日けんかをしていた。でも泣かなかった。
どうしてだか、分からない。。。
これが幼い子供の本音だと思います。